策定にあたって

3.町の概要

(1)位置及び地勢

 本町は、北緯35°29′、東経133°52′にあり、鳥取県のほぼ中央に位置しています。北は日本海に面し、西は北栄町と倉吉市、南は三朝町、東は鳥取市とそれぞれ接しています。中部圏域の中心地である倉吉市まで約10km、県庁所在地の鳥取市から西に約35kmの位置にあります。
 地勢は、本町の中央部に約4km2の東郷池があり、東郷川等の河川が注ぎ、橋津川によって日本海へ流れています。南東部一帯から海岸までは、山地丘陵や中国山地に続く高地となっています。海岸部には砂丘地帯が広がり、西部には天神川から東郷池に至る平野が形成され、水田地帯が広がっています。
 このように本町は、海、池、川、山など、豊かな自然環境に恵まれた風光明媚めいびな地域です。

(2)気 候

 年間を通じての平均気温は14.6℃(最高気温33.3℃、最低気温−2.5℃)、年間降水量1,889.5mm(平成21(2009)年倉吉地域気象観測資料)であり、高湿多雨で、中国山地と大陸の影響による季節風及び日本海の海流に大きく影響を受けた山陰地方特有の日本海型気候です。同じ町内でも温度差が大きく、地形的な要因による気候の変化がかなり見られることが特徴です。

(3)土地利用

 本町は、東西11.3km、南北11.6kmで、面積は77.95km2となっています(東郷池の面積を含む)。
 土地利用の状況を見ると、山林・原野が全体の約43.4%を占め、農用地が20.0%、宅地が4.4%(平成22(2010)年固定資産概要調書)となっています。

(4)人 口

 平成17(2005)年の国勢調査によると、本町の総人口は17,525人で、平成12(2000)年の国勢調査に比べ、144人、0.8%増加しています。
 世帯数は、平成17年が5,374世帯で、平成12年の5,063世帯に比べ、6.1%増加しています。
 一世帯あたりの人口は、平成17年は3.26人で、平成7年の3.65人、平成12年の3.43人に比較して年々減少しており、核家族化の進行がうかがえます。
 年齢階層別人口は、平成17年は年少人口(0〜14歳)が14.9%、生産年齢人口(15〜64歳)が59.3%、老年人口(65歳以上)が25.8%となっており、平成12年と比較すると年少人口の減少と老年人口の増加がうかがえます。また、鳥取県平均と比較すると、年少人口が0.9%(鳥取県平均:14.0%)、老年人口が1.7%(鳥取県平均:24.1%)高く、生産年齢人口は2.6%(鳥取県平均:61.9%)低くなっています。

(2)沿 革

 本町は、平成16(2004)年10月1日に東郷池の周囲に位置する羽合町、泊村、東郷町が合併して誕生した新しい町です。
 旧羽合町と旧東郷町は、昭和の大合併によって、昭和28(1953)年にそれぞれ誕生し、旧泊村は大正7(1918)年に誕生しました。
 旧羽合町では、第7次総合計画で−夢はずむ21−「共に創造し 尊重され 人と自然が輝く町」を基本目標に、豊かな自然と恵まれた資源を最大限に活用しながら町づくりを進めてきました。特に、アメリカ合衆国ハワイ州ハワイ郡との交流に力を入れ、ハワイアンフェスティバルの開催や夏季期間のアロハシャツ着用など、国際交流の推進に取り組みました。さらに、ISO9001の取得や地域イントラネットの整備など、行政事務の効率化も図りました。
 旧泊村では、第6次総合計画で「人と自然が調和した心の豊かさが実感できる村づくり」を基本方針に、村民が安心して住むことができる新たな村づくりを進めました。特に、発祥地であり、全国に普及したグラウンド・ゴルフを核とした村づくり、風力発電の導入等新エネルギーの推進、県外青年の生活体験事業や漁業後継者の対策等に取り組みました。
 旧東郷町では、第6次総合計画で「人の和が織り成す自然美のまち 東郷」を基本理念に、町民が幸せを共有し、実感できる住民参加型の行政運営を目指しました。特に、ふるさとを誇れるまちづくり助成事業、行政座談会の開催、二十世紀梨を大切にするまちづくり事業など、特産品の振興を行いました。
 旧3町村は、古くから地理的、歴史的にも、文化・教育の面でもつながりがあり、合併問題が起きる前から、3町村の観光パンフレットの作成、ドラゴンカヌー大会、グラウンド・ゴルフ大会等の大会を共同で開催するなど、協調して取り組んでいました。
 平成12(2000)年の地方分権一括法の施行、そして地方分権や少子高齢化社会等の社会環境の変化への対応から、合併の必要性が徐々に論じられるようになり、平成12年12月に鳥取県から「市町村合併についての考え方」の提示がありました。この中では3つの合併パターンが示され、3町村はどのパターンとも分散されることなく一体として示されたこともあり、3町村で合併をしていこうという風潮が強まりました。
 その後、3町村の町村長や議長等の協議により、平成13(2001)年4月に東郷湖周地域合併問題検討委員会を設置し、積極的に合併について検討していくこととなりました。さらに、各議会に市町村合併特別委員会を設置したり、市町村合併フォーラムや住民説明会(市町村合併を考える座談会)を開催したりするなど、住民と行政、議会が一丸となり、合併について考える動きが急速に高まってきました。
 そして、同年9月には、住民の意見を聴こうと3町村合同アンケートを実施した結果、「町村合併は必要」と考える人が高い割合を示し、その多くは3町村の合併パターンを支持していました。このことから、9月議会定例会で町村長提案による合併協議会の設置が提案され、それぞれ可決されました。そして、平成13年10月1日に法定の「東郷湖周地域合併協議会」が設置され、平成16年10月の合併を目指すこととなりました。
 協議会設置後は、二十数回の協議が重ねられるとともに、新町の名称や新町の事務所の位置、「新町まちづくり計画」の策定等については検討委員会も設置され、それぞれ専門的に審議されました。また、意見提言の募集や住民説明会の実施とともに、全住民を対象とした「3町村の21世紀を語る300人の会」をはじめ、小中学生を対象とした「東郷湖周上空から新春の夢発信」等を開催するなど、多くの住民から合併や将来のまちづくりに対する意見の収集に努めました。
 そして、約2年の協議を経て、平成15(2003)年11月24日に合併協議会において「合併協定書」が承認され、12月5日に合併協定調印式、12月11日には旧3町村の議会で合併関連議案が可決され、12月24日に廃置分合申請書を鳥取県知事に提出しました。
 その後、平成16(2004)年4月19日に総務大臣による3町村の合併の告示があり、同年10月1日に「湯梨浜町」が誕生しました。
 新町では、第1次総合計画で「げんき・いきいき・かがやきのまち」をキャッチフレーズに、地域の融和と町民一人ひとりが誇りの持てるまちづくりを積極的に進めてきました。それぞれの地域で守られてきた歴史や文化を大切に引き継ぐとともに、地域資源を活かしながら、新たな湯梨浜ブランドの構築に努めてきました。
 また、本町のシンボルとも言える東郷池を中心として、環境や観光、農林水産業の振興等を考える新しい町づくりのあり方を提言してきました。
 さらに、日々めまぐるしく変化する福祉施策の充実や教育環境の整備促進、行財政改革の推進など、合併のスケールメリットを活かしながら、新町としての第一歩を踏み出し、この5年間の取り組みを土台として、発展的な施策を推進するとともに、町民が主役の町づくりに努めています。


ISO9001
国際標準化機構(International Organization for Standardization)が発行した品質マネジメントシステム(Quality Management System)に関する国際規格の総称。