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湯梨浜町の名勝
名勝
[名勝]尾崎氏庭園
所在地:湯梨浜町宇野
主屋の南東側にある庭園「松甫園」は、池庭地割の方式や亀島などの形式から江戸中期末葉に作られたと推定されている。小池泉鑑賞式庭園と呼ばれるもので、三尊石組と書院前の自然石の手水鉢は、近くの海岸から産出された風雅な安山岩が用いられており、地元の素材を巧みに利用している。
庭園内には黒松、モッコク、ソテツ、ツバキなど30数種の木々が植栽されている。庭園正面の松は「来迎の松」とも呼ばれ、陰陽五行思想が植樹の基本となっている。庭園と借景の山々の調和は観る人を魅了する。庭園に据え付けられている水琴窟は、現存する日本最古のものと言われている。
[町指定]今滝
所在地:湯梨浜町北福
この滝は、舎人川上流の標高124mの所にある高さ約44mの一段滝である。鉢伏山に源を発しており、三方の安山岩の絶壁から、一筋に流れ落ちる姿が美しい。滝開きは7月15日である。
滝つぼが広く真夏でも涼しいため、毎年多くの人々でにぎわう。
[町指定]亀石
所在地:湯梨浜町宇野
宇野の海岸から約50m沖合に、首を上に突き出した亀の形の岩がある。地元の伝承によれば、神代の昔、出雲の大国主命の娘である下照姫命が亀に乗って、宇野と宇谷の境にある仮屋ヶ崎という海岸にたどり着いた。亀を海岸に待たせて上陸した姫はこの地を気に入って、出雲へ帰るのを忘れて住み着いた。亀は命じられた通りに待っていたが、待ちくたびれてとうとう岩になってしまったという。倭文神社には、亀石のある宇野から下照姫命が通ったとされる道が、現在も裏参道として残されている。
[町指定]海食崖(海食洞)
所在地:湯梨浜町上橋津
馬ノ山丘陵の北西端、国道9号線南側の町道に沿って険しく切り立った崖がある。岩石は鉢伏山板状安山岩で、波によって浸食されてできた海食洞(海食崖)である。現在、波の全く届かない陸地にあるため、離水海食洞と呼ばれている。洞窟の深さは、最も深い所で10m以上ある。
約6千年前の縄文前期には、海水面が現在よりも2~3mほど上昇していた(縄文海進)ことから、その時に形成された海食洞といわれており、当時の海岸線を復元するための重要な地形である。また岩肌には、貴重な植物が多く自生している。
離水海食洞は、橋津のほか園、原、宇谷、宇野などにも残っている。
[町指定]宇野地蔵ダキ
所在地:湯梨浜町宇野
地蔵3体を祀る法華堂の脇から流れ出る湧水は、水量が豊富で枯れたことがなく、昔から宇野地区の生活用水として重宝されてきた。古くから名水として知られ「平成の全国名水百選」に選定され、いつも名水愛好家の採水でにぎわっている。
傍に立つ6m近い巨岩には「南無妙法蓮華経」の題目が刻まれており、元禄2年(1689)に長瀬村の弥兵衛という人物が建立したもの。
[町指定]出雲山展望台
所在地:湯梨浜町宮内
倭文神社の西方の東郷池に面した高台は、出雲山と呼ばれている。地元の伝承によれば、神代の昔、倭文神社の祭神の下照姫命は、出雲からやって来て倭文神社の社地を気に入り住居を定めた。その後、住民に安産や織物の指導をしてこの地域の発展に尽くしたが、故郷である出雲が恋しくなると、この高台に来て遠い出雲の方角を眺めていた。その姿を見た人々はいたわしく思い、いつしかこの高台を出雲山と呼ぶようになったという。
現在は展望台として整備され、東郷池と羽合平野、その先に日本海と茶臼山、遥か彼方に中国地方最高峰の大山の雄姿と島根半島が霞む絶景を楽しむことができる。
[町指定]馬ノ山展望台
所在地:湯梨浜町上橋津
橋津(馬ノ山)古墳群の10号墳に隣接する展望台。東郷池周辺や日本海、大山、蒜山三山、羽衣石山などが眺められ、出雲山展望台と同じく東郷池周辺の眺望を堪能できる。付近にはハワイ風土記館があり、橋津地域の歴史や民俗、伝統行事などに関する展示があるほか、5階の展望室からは360度の絶景を楽しむことができる。
[町指定]羽衣岩
所在地:湯梨浜町羽衣石
地元に伝わる羽衣天女伝説で、天女が天界から舞い降りた際、羽衣を置いたとされる大岩で、天女の「影向(ようごう)石」とも呼ばれ小さな祠が祀られている。
この岩の傍らの石の上には、天女のものとされる足跡が一つ残っている。
[町指定]羽衣池
所在地:湯梨浜町羽衣石
別名「お茶の水の井戸」とも呼ばれている、小さな湧水の池である。
戦国期に羽衣石城の城兵の、貴重な飲料水として使われていたと思われる。『羽衣石南条記』には「清水、北洞より湧き出、大干魃といえども乾くことなし」と記されており、「この井戸を汲み干すと大雨が降る」との言い伝えも残る。また、天女がこの池で水浴びをしたという伝説もある。