ページの先頭です。 メニューを飛ばして本文へ
現在地 トップページ > 組織でさがす > 生涯学習・人権推進課 > 湯梨浜町の無形民俗文化財

本文

湯梨浜町の無形民俗文化財

ページID:0023774 更新日:2024年12月23日更新 印刷ページ表示

無形民俗文化財

[重要無形民俗文化財 因幡・但馬の麒麟獅子舞]国主神社の麒麟獅子舞道具一式

所在地:湯梨浜町漆原

因幡・但馬の麒麟獅子舞

 麒麟獅子舞とは、優れた君主の徳を慕って現れるとされる霊獣・麒麟をかたどった金色の獅子頭と、赤い胴幕(どうまく)を着けて舞う2人立ちの獅子舞で、鳥取県を代表する民俗芸能。太鼓・鉦(かね)・笛の囃子に合わせてゆっくりと地を這うように頭を回したり、高く伸びあがるような所作で舞う。赤い面と装束の猩々(しょうじょう)も登場する。鳥取藩主の池田光仲が承応元年(1652)に鳥取東照宮の祭礼行列で舞わせたのが起源とされる。因幡各地に伝播して、現在も百以上の神社の祭礼等で舞われている。
 漆原に鎮座する国主神社には、近世に作られたとみられる麒麟獅子頭と道具一式が伯耆で唯一伝わっており、昭和20年代頃までは例祭で麒麟獅子舞が行われていた。因幡と比較すると、宮太鼓ではなく締太鼓を、鉦ではなく銅拍子を用いていたという特徴があり、麒麟獅子舞の伯耆への伝播と独自の発展をうかがわせる貴重な資料である。

[県指定]東郷浪人踊

実施日・場所:水郷祭(7月20日に近い日曜日)・東郷湖畔公園(湯梨浜町旭)

東郷浪人踊

 戦国時代、羽衣石城は尼子、毛利との争いの戦火に何度も見舞われたため、戦死者を弔うために城下で始まった念仏踊りが由来とされる。
 特に天正7年(1579)の毛利との合戦は、東郷池が真っ赤に染まったといわれるほど激しく、城は奪われ戦死者が続出し、生き残った者は浪人となって四散し、翌年の盆には戦死者の霊を慰める盛大な盆踊りが催され、以来毎年7月20日の落城の日を期して東郷池のほとりで踊りが続けられた。その後関ヶ原の合戦で羽衣石城が廃城となると、各地に散った浪人たちが夜にまぎれて密かに集まり踊りの輪に加わって、夜が明けると再び散っていったため、いつしかこの踊りは浪人踊と呼ばれるようになったと伝わる。
 念仏踊り形式の哀愁を帯びた、格調高い静かな踊りが特徴。「出し初め」と呼ばれる太鼓打ちで始まり、扇子を持った歌い手が口説き文句(歌詞)を、抑揚を付けずにゆっくりと歌い上げる。踊り手は黒紋付の装束に、折編み笠を深くかぶり、若竹色の角帯、腰に朱鞘と印籠をさげた、浪人風のいでたちで踊る。念仏踊りを起源とするため、音を立てずにすり足や合掌をする仕草が特徴。最後は「後締め」と呼ばれる太鼓の音で終わる。かつては様々な口説き文句が歌われていたが、現在は那須与一の歌となっている。

[県指定]田後神社頭屋祭「宮の飯」

実施日・場所:旧暦11月1日・田後神社(湯梨浜町田後)

田後神社頭屋祭「宮の飯」

 その年の新穀を神に献上し、新嘗を行うとともに、来る年の豊作を祈願する、神饌献上型の祭祀である。祭りの担い手は世襲制の5人の頭屋(当人)で、その内の1人が頭屋頭(がしら)を務める。
 祭りの前日には海水で全身を清め、神社に籠る「つごもり」を行う。当日は午前3時に起床して、屋外で火を焚いて5升5合の玄米に塩、大豆、大根などを混ぜた「ごくう(宮の飯)」と呼ばれる神饌を作る。ごくうは神前に供えられ、神職による祭典の後、参拝者にもふるまわれる。ごくうを食べると無病息災に効があるといわれる。祭りが終わると、頭屋頭から翌年の頭屋頭へと、祭りの諸道具が手渡される「頭渡し」が行われる。祭りの発祥時期は不明だが、氏子の中で特定の家のみが世襲制で神社の祭祀を執り行う特権的祭祀組織を形成していることから、中世以来の宮座の形態をよく残し、その歴史はかなり古いと考えられる。

[町指定]茶町踊り

実施日・場所:8月23日・西蓮寺(湯梨浜町橋津)

茶町踊り

 毎年の地蔵盆に西蓮寺境内の地蔵菩薩像の前で踊られる盆踊り。折編み笠に浴衣を着た踊り手が大きな輪をつくり、時計回りに踊る。死者供養のためゆっくりと静かに踊られ、手の振りには幽霊のように両手を前に突き出したり、両手を合わせて拝むような仕草がある。
 古くは「ニガタ踊り」と呼ばれ、江戸中期の橋津港の船の往来が活発だった頃に、新潟方面の船乗りから伝えられた、舟に荷を積む「荷方」の間で生まれた、瀬戸内方面から花車(だんじり)と共に伝わったなど諸説ある。昭和初期に三ツ星踊りの流行におされて途絶えそうになるも、昭和40年代に保存会が結成され、現在は橋津ふるさとの文化を守る会を中心に伝承されている。

[町指定]宇野三ツ星盆踊り

実施日・場所:8月13~15日・安楽寺(湯梨浜町宇野)

宇野三ツ星盆踊り

 安楽寺8代目住職の次男が現在の姫路市夢前町菅生澗(すごうだに)の善照寺に養子に入り、文化年間(1804~1818)に里帰りした際に、菅生澗地区の踊りを伝えたのが始まりとされる。このため近隣の三ツ星踊りとは異なる特徴を持つとされる。浄土真宗への信仰が篤かった宇野地区で死者供養の盆踊りとして定着し、昭和初期には踊りの輪が三重になるほど盛況だったが、戦後に一時伝承が途絶え、昭和46年に保存会が結成されて復活した。
 たすき掛けの浴衣姿に鉢巻を着けた男性2人が、中央に据えられた太鼓の周囲を回りながら打ち、折編み笠に波文様の浴衣姿の踊り手が、太鼓の周りを時計回りに踊る。手の振りは、祖先を拝み、小山や海を眺め、沖から打ち寄せる波を表現しているといわれる。浴衣姿の歌い手が歌う口説き文句(歌詞)は、現在は15番まで定められ、通常6番まで踊られている。

[町指定]湊神社の祭礼行事

実施日・場所:スポーツの日の前日・湊神社(湯梨浜町橋津)周辺

湊神社の祭礼行事

 毎年10月の祭日に、榊、神輿、大名行列、花車(だんじり)が湊神社を出発し、橋津・上橋津・赤池地区を練り歩き、最後は神輿を担いだまま海中へ入っていく珍しい場面もみられる。大名行列は「ヨイトマカセ、ヒイヨイナ」という勇ましい掛け声と共に、近世の参勤交代の行列を再現する。赤と青の2台の花車には小学生の稚児が女装して乗り込み、歌いながら太鼓を打つ。若衆達が担いで「赤が勝った」「青が勝った」と囃しながら、2台は追い抜き抜かれを繰り返す。北栄町由良の花車は、橋津から伝わったといわれている。
 橋津港が開かれた宝永元年(1704)、年貢米を大阪へ運ぶ藩船の海上安全祈願が執り行われた際に、毎年祭日に舟御幸を執行するよう藩から申し渡されたことに由来すると伝わる。昭和20年代頃までは、神輿などを乗せた船が橋津大橋から港へと川を下る舟御幸が盛大に執り行われていたが、担い手不足などで行われなくなり次第に祭りの規模が縮小した。昭和39年に湊神社行列保存会(現橋津ふるさとの文化を守る会)が結成され、中断していた花車が復活するなど、再び祭りのにぎわいを取り戻した。

[町指定]泊の大名行列

実施日・場所:スポーツの日の前日・灘郷神社(湯梨浜町泊)周辺

泊の大名行列

 泊港を望む高台に鎮座する灘郷神社の秋季例祭で行われる。安永2年(1773)に鳥取藩舟番所の番士から村民に伝えられたとされ、神社を出発した榊・幟負い(のぼりおい)・大名行列・神輿が地区内を練り歩く。
 最初に榊が前祓いとして練り歩き、家々の門前で榊を地面に打ち付けて揺らしながら地しめ歌を唄う。幟負いは手作りの鎧に烏帽子を着け、顔に墨でひげを描いた子ども達が、背中に幟を立て、大青竹に金銀色紙を貼り中に一文銭を付けて音の鳴るようにした大杖を前後に倒しながら、ゆっくりと進む。大名行列は顔に化粧をした若衆が前箱・大鳥毛・後箱など様々な道具を持ち「ヒニヨーヤナ、ヒニヨイト、マカセ」と威勢良く声を上げて練り歩き、近世の参勤交代の様子を再現する。

[町指定]泊貝がら節

実施日・場所:5月・泊小学校運動会 6月・グラウンド・ゴルフ発祥地大会

泊貝がら節

 江戸後期から昭和まで、県内沿岸部では数十年おきにイタヤ貝の大群が発生し、特に天保5年(1834)の大漁のにぎわいは鳥取藩日誌にも記述されるほどであった。この頃から漁師達の間で労働歌として唄い出され、泊や橋津、青谷、浜村などにそれぞれ独自の貝がら節が伝わっていた。昭和8年に浜村温泉の新民謡の貝がら節が全国的に有名になると、各地の貝がら節がその影響を受けたが、泊貝がら節は古い録音から復元されたため独自の形を残しており貴重。元は唄のみであったが、泊で昔から踊られていた「おぼこ踊り」と合わせて保存会によって伝承され、今も泊小学校で指導が続けられている。
 重労働である貝獲りの過酷さと大漁の喜びを伝える、豪快だが哀調を帯びた唄と調子が特徴。歌い手は1人で、唄の合間に囃し手による「ヤッシンコイ」などの囃し言葉が入る。1人が中心に据えた巨大な太鼓を力強く打ち、法被姿の踊り手は下手から踊りながら登場して太鼓の周りを囲み時計回りに踊る。

[町指定]九品山・中将姫の練供養

実施日・場所:旧暦3月14~15日・大伝寺(湯梨浜町引地)

九品山・中将姫の練供養

 万寿元(1024)年に大和の当麻寺から、当麻寺(たいまでら)で行われていた練供養の儀式で、中将姫の遺跡を大伝寺に迎えたのが始まりとされる。中将姫の命日とされる旧暦3月14日、中将姫像が御輿に乗せられて本堂から仮堂へ移され、翌日の午後、仮堂から本堂に帰還する。中将姫が阿弥陀如来率いる二十五菩薩に迎えられて、極楽往生する様子を再現している。
 現在は御輿を綱で引くが、かつては当麻寺の練供養と同じように、面を着けて仏に扮した人々が練り歩いたと伝わる。祭りの際には鐘つき堂で、半鐘と太鼓で「九品ばやし」が演奏される。