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湯梨浜町の有形文化財(古文書)

ページID:0023772 更新日:2024年12月23日更新 印刷ページ表示

有形文化財(古文書)

[県指定]岡本家文書

岡本家文書
天文23年 清谷分抜き所注文

  門田の岡本家に伝来した、天文23年(1554)以降の200通以上の古文書群。そのうち慶長18年(1613)以前の中世文書28通が県の保護文化財に指定されている。中世文書の内容はほとんどが門田村周辺の土地の売買や譲渡に関する証文で、共通する特徴としては、すべて永代売買であること、土地の耕作権まで含めた売買であると推測されることが指摘されている。また、面積に対応した価格という観念が乏しく、土地そのものが目的ではなく、地縁・血縁関係による日常的なつながりを前提とした、土地を担保とする米銭の相互融通が目的の売買であったのではないかという指摘もある。戦国の動乱期の在地社会の実態をうかがわせる史料として非常に貴重なものである。
 家伝によれば岡本家の先祖は、播磨国(現兵庫県)の豪族赤松氏の庶流である有馬氏の末裔で、羽衣石城主南条氏の家臣の堤城主山田氏の養子となったとされ、近世には河村郡や門田村の要職を歴任した。

[町指定]南条元清寄進状

南条元清寄進状

 野花の松尾神社宮司家に伝来した文書で、永禄5年(1562)に南条元清なる人物が松尾神社に神田75石を寄進した際の寄進状である。従来は羽衣石城主南条宗勝の次男である小鴨元清による寄進状と考えられていたが、近年、宗勝の当時の実名が元清であったとする説が有力となり、南条宗勝による寄進状と考えられる。鳥取県は他県に比して戦国期の文書の残存が少なく、年代が特定できる本文書は非常に貴重である。

[町指定]後陽成天皇口宣案

後陽成天皇口宣案

 伯耆一宮倭文神社の宮司家に伝来した文書で、慶長5年(1600)に一宮神主の平(米原)吉幸を右京大夫に任命したもの。系図によれば吉幸は73代宮司にあたるという。口宣案とは、中世以降に朝廷が官職の任官などの際に発給した文書。本来口頭で伝達される天皇の命令を蔵人が一時的に記録したメモであったが、後にそれ自体が公文書のように扱われるようになった。元々メモであったため、使用済みの紙を漉き直した再生紙が用いられるのが通例で、この文書も全体が薄墨色である。

[町指定]鳥取藩着座和田氏旧領知分小鹿谷絵図

鳥取藩着座和田氏旧領知分小鹿谷絵図

代々鳥取藩の家老を務めた和田氏は、河村郡に所領を与えられ、松崎での自分手政治(鳥取藩から藩内の重要拠点の町の行政を委任された制度)を許されていた。和田氏は鳥取に住んだが、松崎から南に少し離れた小鹿谷に陣屋を構え、留守居役や町奉行を置いて松崎を統治した。陣屋周辺には武家屋敷が並び、城下町松崎は鳥取と倉吉を結ぶ街道が通り、定期市も開かれる商工業の町として発展した。

[町指定]天保絵図

天保絵図
天保14年 河村郡南谷村田畑地続全図

 天保10年(1839)から弘化元年(1844)まで、鳥取藩では藩領の村々を統一基準のもとに調査し、一村ごとの土地・耕作関係を正確に把握するための「地改め」事業が実施された。各郡の大庄屋が主導して調査が行われ、その成果をもとに村ごとに「田畑地続全図」などの絵図が作成され、藩に提出された。河村郡では、大庄屋の長瀬村戸崎久右衛門が事業を受け持った。
 羽合地域は南谷村・下浅津村・上浅津村・光吉村・赤池村・田後村・長瀬村・水下村・湊村・久留村、東郷地域は宮内村・小鹿谷村・田畑村・中尾村・山辺村・別所村・片面村・高辻村・河上村・久見村・中興寺村・白石村・長江村、泊地域は宇谷村・園村・泊村・石脇村・小浜村の絵図が現存しており、幕末期の地域の実情を示す貴重な資料である。