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湯梨浜町の有形文化財(考古資料)

ページID:0023771 更新日:2024年12月23日更新 印刷ページ表示

有形文化財(考古資料)

[国宝]伯耆一宮経塚出土品

所在地:東京国立博物館

伯耆一宮経塚出土品

 経塚の出土品(銅経筒1口、金銅観音菩薩立像1体、銅造千手観音菩薩立像1体、銅板線刻弥勒立像1面、銅鏡2面、瑠璃玉一括、銅銭2枚、檜扇残片、短刀・刀子残闕、漆器残闕)は、大正9年(1920)に国宝に指定され、戦後の昭和28年に再指定された。
 銅経筒は笠、筒身、台座の3部からなる。笠は方形で、上面に釈迦・大日・阿弥陀・弥勒の種字を彫り、四隅とその中間の8カ所に瓔珞(ようらく)を取り付けるための輪がある。筒身は円筒状で、全面に15行236字の銘文が彫られている。
 銘文によれば、平安後期の康和5年(1103)に、一宮神宮寺の僧とみられる「京尊」なる人物が、釈迦の入滅から2052年に当たる末法の世に、伯耆国河村東郷に鎮座する一宮大明神の御前で法華経を埋め、弥勒が出現した時に掘り出して、すべての人が悟りへと至ることを願ったものである。当時すでにこの一帯が「東郷」の名で呼ばれていたことや、倭文神社が「一宮」と呼ばれていたことがわかる貴重な資料である。

[重要文化財]伯耆長瀬高浜遺跡出土埴輪一括

所在地:湯梨浜町羽合歴史民俗資料館

長瀬高浜遺跡出土埴輪

 長瀬高浜遺跡は北条砂丘上に営まれた、山陰地方最大級の古墳時代の集落跡を含む複合遺跡である。通常古墳から出土する埴輪が、遺跡内北西隅の古墳ではない場所から大量に密集した状態で発見されるという、全国的にも類例のないものである。埴輪の製作時期は古墳時代中期とみられ、大部分は朝顔形だが、円筒埴輪と甲冑・盾・家・蓋(きぬがさ)・鞆(とも)形の形象埴輪もあり、甲冑形は古墳時代の甲(よろい)と冑(かぶと)を原寸大で精巧に表現している。
 古墳外に置かれた経緯は不明だが、大型古墳築造に向けて準備された埴輪が、古墳の築造中止に伴い放置されたという説が有力である。

[県指定]長瀬高浜遺跡玉作関係資料一括

所在地:湯梨浜町羽合歴史民俗資料館

玉作関係資料

 長瀬高浜遺跡の弥生前期の竪穴建物跡から、管玉などの玉製品の作りかけの素材や、穿孔(せんこう)に失敗して割れた破片などが大量に発見された。「長瀬高浜技法」と呼ばれる独特の製法から、国内最古級の玉作り工房跡として注目された。

[町指定]野方廃寺跡出土瓦

所在地:湯梨浜町中央公民館

野方廃寺跡出土瓦

 仏教文化が隆盛した白鳳時代(7世紀中頃)の創建とみられる野方廃寺跡から出土した軒丸瓦、丸瓦、軒平瓦、平瓦、鴟尾(しび)片。軒丸瓦は複弁六葉蓮華文を持ち、伯耆国で最古の形態を持つ。寺跡は現在宅地であり遺構は確認できないが、覚善寺には野方廃寺の礎石と伝わる石が4つ残されている。野方廃寺の南方450mにある丘陵「弥陀ヶ平」(みだがなる)でも礎石群が見つかっており、野方廃寺と関連する寺跡とみられる。

[町指定]石帯

石帯

 湯梨浜町宮内の早稲田神社北側の畑を開墾中、石びつの中から刀、須恵器とともに発見された。石帯は奈良~平安時代に、貴族や豪族・官人などの正装の腰帯(ベルト)に取りつけた装飾板である。身分・官位の上下によって、材質・大きさが定められていた。長辺4cm、短辺3.6cmの長方形で、厚さ5mm、全面がよく磨かれている。出土地の近くに伯耆一宮や国造屋敷伝承地などがあることから、高級貴族か官人が帯用したものと考えられている。

[町指定]北福の小銅鐸

北福の小銅鐸 

 昭和5~6年頃、湯梨浜町北福字北山ノ三の丘陵地を開墾中に、山陰で初めて発見された小銅鐸である。鋳銅製で状態は比較的良好であり、暗緑色を呈す。高さ9.25cm、うち鐸身7.6cm、鈕1.65cm、重さ213g。身の横断面はほぼ円形で、底部の直径5.2cm、上面の直径3cm、身の厚さ2~3.6mmで、鈕の厚さもほぼ同様である。文様はなく、身の上半部に長方形の穴が4個、上面に鈕を挾んで長方形と円形の穴がある。弥生~古墳時代の祭祀具とみられ、出土地一帯からは古墳時代の土師器や須恵器も見つかっている。

[町指定]高辻の陶経筒

陶経筒

 文政年間(1818~1830)に湯梨浜町高辻字墓ノ段(通称鋳山)の山林開墾中、青磁香炉と和鏡と共に発見された。伯耆一宮経塚の銅経筒と同様に、中に経典を納めて土中に埋納したものである。陶製で高さ26cm、直径は底部9.5cm、胴部14.5cm、口部11.5cmで胴部がやや膨らんでおり、作りは甘いが堅く焼成されている。元はふたがあったとみられるが伝わっていない。

[町指定]仿製三角縁獣帯文鏡

所在地:湯梨浜町泊歴史民俗資料館

仿製三角縁獣帯文鏡

 昭和32年、全長33mの前方後円墳・石脇2号墳(尾尻古墳)後円部主体部から、土師器の鼓形器台2点と共に発見された。
直径14.7cm、鈕の厚さ2mm、全面に緑青を帯び、朱痕が点在する。中央の鈕の周囲に右を向いた4匹の獣を配する。櫛歯文帯の外側に二重の鋸歯文帯をめぐらしている。仿製鏡とは中国製の銅鏡を模して造られた銅鏡で、朝鮮半島や東南アジアにも見られるが日本における例が多い。

長瀬高浜遺跡出土小銅鐸

所在地:湯梨浜町羽合歴史民俗資料館

長瀬高浜遺跡出土小銅鐸

 小銅鐸とは銅鐸の模倣品だが、集落外に埋納された例が多い銅鐸と異なり、集落内の住居跡などから発見される。本品は古墳時代前期の竪穴建物跡の上層で発見されたが、弥生中期頃の作で、集落内で長期間祭祀具として使用されたとみられる。小型だがつくりは丁寧で、鈕ちゅうの外縁に連続渦巻文、内縁にS字状渦巻文が施されている。鈕の中央部の磨滅から、紐などで吊るしてベルのように使用されたとみられる。

長瀬高浜遺跡1号墳出土組紐鞘巻き鉄刀

所在地:羽合歴史民俗資料館

1号墳出土組紐鞘巻き鉄刀

 直径33m、高さ2mの古墳時代中期の円墳・長瀬高浜1号墳の埋葬施設の箱式石棺から、首長とみられる熟年女性の骨と共に出土。全長101.2cmで木製の鞘に布が巻かれ、さらにその上に隙間なく巻かれた幅9mmの組紐の繊維が残存する。1号墳は天神浄化センターの南東端に移転復元されている。