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湯梨浜町の有形文化財(絵画)
有形文化財(絵画)
[町指定]長栄寺の天井絵
所在地:湯梨浜町別所
長栄寺本堂の2.5m×2.8mの天井に、青龍が層雲の間をくぐって踊り、稲妻や嵐が荒れ狂う、実にすさまじい光景が描かれている。これは昭和31年に別所出身の図案家千熊章禄が心血を注いで描いたものである。
長栄寺は長栄寺は曹洞宗で、本尊は釈迦牟尼仏である。宝永2年(1705)に龍徳寺の12世鷲仙任峰和尚が、龍徳寺の5世「貞文存侃(そんかん)和尚」を勧請して開いた。もとは「安泰山」と号していたが、明治40年(1907)、15世山崎祖苗和尚が、但馬の長松寺の秦慧昭(はだえしょう)(後の永平寺貫首)に接し教化を受け、山号を「宝樹山」と改称した。山門の扁額「宝樹山」は、秦慧昭の筆である。
[町指定]覚善寺の天井絵
所在地:湯梨浜町方地
覚善寺本堂外陣の格天井に、ウメ、ネコヤナギ、ザクロ、カキなど計36点の花木が描かれている。
これらは当寺4世澄道の外孫で、のちに龍徳寺25世住職となった泰雲和尚の安政5年(1858)の作といわれている。
画材に岩絵の具を用いており、白い胡粉の上に描かれているため、光の届きにくい天井にあっても比較的よく見ることができる。覚善寺は元は天台宗で白石城山にあったが、落城と共になくなり、寛文2年(1662)に浄土真宗の寺院として再興した。
[町指定]西向時の天井絵
所在地:湯梨浜町松崎
西向寺本堂の格天井に、11枚×11枚の計121枚の天井絵が描かれている。覚善寺の天井絵と同じく、龍徳寺の25世泰雲和尚の作と伝わる。図案は花鳥を中心に、馬や海老など多様なモチーフを精緻に描いており、保存状態も良好である。
西向寺は慶長元年(1596)、寿心という僧の開山と伝わる。関ヶ原の合戦後に衰退したところを、松崎を治めた鳥取藩家老和田氏の援助を受けて再興した。境内には鳥取の真教寺から移設した和田家累代の墓がある。
[町指定]装飾画「平和の苑」
別所出身の図案家千熊章禄が、昭和32年に母校である旧東郷小学校へ寄贈したもの。
小学校の児童達が、森厳で悠揚で静謐な雰囲気に浸り、おおらかで優美な心を養うようにとの願いが込められている。雌雄の鳳凰が理想の花苑で悠々と群れ遊び、大地に菊や桐の花が咲き誇る、平和な世界が描かれる。縦58cm×横270cm。
[町指定]装飾画「桐花瑞鳥図」
別所出身の図案家千熊章禄が、昭和30年に旧東郷町の町制施行記念として、旧東郷中学校へ寄贈したもの。中央に大きく桐花を描き、左右に雌雄の鳳凰が飛ぶ。中央下部の枠内に朱竹3本を添え、縁飾りには小菊の花と葉を交互に配している。
大正3年(1914)に上野で開催された東京大正博覧会に出品された。縦62cm×横270cm。
[町指定]日本各時代意匠表紙図案
別所出身の図案家千熊章禄が、昭和36年に旧東郷中学校へ寄贈した、学習教材用図書の表紙用の図案集。
作者の意匠感によって、日本の歴史の各時代(神代・上古・飛鳥・奈良・平安・藤原・鎌倉・室町・桃山・江戸)を代表する図案が、縦24cm×横35cmの紙10枚に描かれている。
大正3年(1914)に上野で開催された東京大正博覧会に出品されて優等賞を獲得した作品。