第4編 民俗 第5章 民謡 第1節 盆唄 三ツ星盆唄 「三ツ星盆唄」は盆の15日を中心として、その前後に町内各地で踊られた盆踊り唄である。倉吉市をはじめ県中部に広く普及しており、当地方の代表的なものである。「三ツ星」の名称の由来については諸説がある。(1)歌い手・踊り手・はやし手の三拍子が必要であるので、「三拍子(みつびょうし)」が変化したとする説、(2)倉吉市福光に3人の族僧が立ち寄って伝えたとする「三法師」説、(3)夏の夜空に大きく輝く星が三つあることによる、などといわれる(新日本海新聞社刊『鳥取県大百科事典』による)。さらに、倉吉市岡の郷土史家・朝倉秋富は、その研究資料「三ツ星踊り・あれこれ」で、文和2年(1353)伯耆守護山名時氏が美作国三星城(岡山県美作町所在)を攻め落とした際、戦勝を祝い戦没者の霊を弔って踊ったのが起源であるとする説を紹介している。 本町では、唄の節や踊り振りに、古老と中年とでは若干の相違が見られる。新三ツ星踊りは、倉吉市が昭和42年にレコード化し、振り付けしたものである。 (歌詞) ○踊りなされよ どなたによらず 踊りでこの場が アチョイト 果てるまで(以下、アチョイトは省略) ○踊りなされよ お歌いなされ 踊りでご器量が 下がりゃせぬ ○花は二度咲く 若さは一度 若さ恋しゅや 二度とない ○惚(ほ)れて通えば 千里も一里 逢(あ)わず帰れば また千里 ○お月さまさえ 夜遊びなさる わしの夜遊び 無理もない ○盆と正月 一度に来れば 昼は羽根つき 夜は踊り ○歌いたいけど まだ若鳥で 声が出ませぬ 汗が出る ○踊りなされよ 三ツ星踊り 踊りでこの身が 果てるまで ○お前百まで わしゃ九十九まで ともに白髪の 生えるまで ○来るか来るかと 川下見れば 河原柳の 影ばかり ○逢うてうれしや 別れのつらさ 逢うて別れが なけりゃよい ○ 鳴くな鶏 まだ夜は明けぬ 明けりゃお寺の 鐘が鳴る |