第四節 民俗
第三章 生産・生業
第三節 職人

石屋
 旭の山本久雄は、昭和九年ごろから十七年ごろまで自宅で石屋をしていた。形を整えて磨いたあと、字などの彫刻を施す、いわゆる彫刻石屋であった。
 石屋の仕事は現在ほとんど機械化されているが、当時はすべてのみなどを使った手仕事であった。墓石や石どうろうなどの注文に混じって、時には大きな仕事もあった。山本の作品には、東郷小学校の忠魂碑、野花・松尾神社の鳥居、伯耆一ノ宮倭文神社の境内の手水鉢などがある。
 なお、藤洋の舎人製材所の裏山、通称「ヤツヤ」で切り出した石材は、石垣や家の土台などに使った。御影石などは遠く四国や八頭郡などから取り寄せたという。
   
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