第四節 民俗
第三章 生産・生業
第三節 職人

鍛冶屋
 松崎の鍛冶〈かじ〉屋では、五区の佐野(薫範)家、一区の佐本(久夫)家が知られる。このうち佐野家の先祖(金崎家)は、古くから一区(上町)で刀鍛冶をしていたといわれる。
 「金屋鍛冶」と呼ばれる佐野家は、昭和十年前後から四十六、七年のころまで、くわ、かまなどの農具をはじめ、包丁、植木ばさみ、船くぎなどを作った。すべて受注生産であった。くわなどの修理も多かった。仕事場にはフイゴのほか、砥石〈といし〉、焼き入れ用の水を入れておく容器、金床(鉄を鍛える台)などがあった。炭は松炭が用いられたが、後にコークスに変わった。忙しい時には、朝の四時ぐらいから仕事にかかった。佐野みつこの談によると、打ちのばしの作業には夫に協力して、自分が先手〈さきて〉(向こう槌〈づち〉を打つ役)を受け持った。動力を使うベルトハンマーが導入された後も、機械でできない部分は夫婦が打ち鍛えをした。
 佐本家の創業も、江戸時代までさかのぼるといわれる。農具などを昭和二十年代の後半まで製造していた。
   
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