第四編 民俗 第三章 生産・生業 第二節 漁労 概説 本節では東郷湖の漁法を中心に述べる。規模の大きい ![]() 明治・大正と長い間受け継がれてきた東郷湖の漁法も、その多くは近年次第に見られなくなっている。これは、漁業離れで後継者が不足してきたことなどによる。いずれも、効率のよい漁業を目指して創意工夫され、縦承されていた漁法であった。一般に、東郷町側の漁師は引き網、羽合町側は投網が多かったといわれる。 漁師の服装も以前と大きく変わった。戦前はワラの前掛けをして、雨の日はみの・かさをまとい、素手で操業した。特に冬場の寒ブナ漁では、寒風にさらされて手がかじかんだという。ゴムの前掛け、カッパなどは戦後に普及したものであった。また、漁業用の舟は、櫓〈ろ〉を操る手こぎの木舟であった。動力船が普及し始めたのは昭和四十年ごろである。このほか、各種の網は今のようなナイロン製ではなく、絹糸などの紡績糸であった。漁を終えたあと網を干す光景が、松崎五区の湖岸沿いなどで見られた。 |
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