第四編 民俗 第三章 生産・生業 第一節 農業 田植え 田植えの初日を早稲〈わさ〉植えといった。早稲植えの期日は部落で決められていた。一般的には、中〈ちゆう〉(二四節気のうち中気、具体的には夏至)の日とか、中の何日前とかで決めた。 苗田で育った苗を抜き取り、束ねて本田に運んだ。田植えは家族だけで、又は親せきなどと組んで植えることが多かった。植えるには田植え定規を用い、縦横の間隔の等しい正条植えで後ろに下がりながら植えた。田植え定規に代えて縄を用いて間隔をとった縄植えは、太平洋戦争後試みられたが、一部の人に採り入れられたに過ぎず、間もなく田植え機による方法に代わった。 自家の田植えが済むと、親せきなどに遅れている家があれば、休む間もなく手伝いに行き、お互いに助け合った。地主や親方の家に手伝いに行くこともあった。地区内の田植えが終わると、他村に現金稼ぎのため早乙女に出た。日当で植える場合と請田(請け負い)の場合があり、羽合・上井・北条方面まで出掛けた。遠い所には宿泊して、朝早くから植えた。 田植え後は水を絶やさないよう水の管理をしたが、干天続きには水不足になることもあり、下流の田をつくる者が上流のせきを外すため、時には小ぜり合いもあった。しかし、個人が夜自分の田に水を引くことは通念上認められていた。その反面、東郷湖畔の水田では田植え後の大雨によって湖の水かさが増し、ひどい時には一〇日以上も稲苗が水没し、植付けをし直さなければならない場合もあった。 |
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