第四編 民俗
第一章 年中行事
第一節 正月行事
(三) 一月四日以降

どんどさん
 どんど、どんど焼きともいう。
 本町では大とんどと、子とんどがあった。大とんどは一月十四日に行われた。朝、正月の飾りを降ろし、床の間に置いて膳を供えた。昼過ぎ、ムラの若い衆が飾りや門松を集めて回り、どんどの組み立てをした。太い青竹三本の上部を結わえて三脚にし、どんど場に立て、竹の間は飾りでつなぎ合わせ、中に門松や残りの飾りを詰め込んだ。
 白石や長和田では、以前二か所に分かれて行われ、上条と下条の組が、飾りの奪い合いや、火渡し(火入れ)の早さを競った。
 準備ができると、子供たちがどんど焼きの始まりを大声で触れ回った。火渡しは若衆が行った。火の手が上がると一斉に「どんどー、どんどー」とはやした。神棚のお札や厨子〈ずし〉、お守りなども焼いた。昔は飾りの量が多く火も大きかった。
 どんどの火でもちを焼き、保存しておいて初ドンドロケ(初雷)が鳴るとき食べると、雷が落ちないといわれた。また、どんどの火で体をあぶると、一年間無病息災で過ごせ、焼いたもちやミカンを食べると健康になり、灰を額につけると頭の病気が治り、勉強がよくできるようになるといわれた。このほか、書き初めをした紙をこの火で焼いた。高く燃え上がると字が上達する、その灰を持ち帰って屋敷の周りにまいておくと、魔除〈よ〉けやヘビ除けになるなどともいわれた。
 一方、小とんどは十五日に行われた。「子供のとんど」ともいい、子供たちだけで行われた。神社や寺院、共同信仰の場の飾りを集め、小規模などんどをした。
 どんどは各部落で盛大に続けられていたが、一般に昭和初期ごろから衰退し、隣近所で誘い合って近くで焼くなど簡略化された。近年、子供会などを中心に本来の姿に戻されつつあることは、喜ばしい傾向といえよう。
 現在、どんどの古い様式をとどめているものに、白石、漆原、宮内などがある。国民の祝日として成人の日が一月十五日に制定されてから、学校や職場が休日となるため、この日に行う部落が多くなっている。


白石のどんど


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