第3編 信仰と文化財
第2章 指定文化財
第3節 県指定の文化財

無形民俗文化財・東郷町浪人踊
 保存団体は「浪人踊保存会」である。
 ○構成 口説者1名(本来は掛合者を含めて2名)、太鼓打ち1名、踊り手多数
 ○道具 梵天1、太鼓1、バチ1組、扇子1本(歌い手用)
 ○装束 黒装束、編み笠、角帯、赤さや刀、印籠〈いんろう〉、足袋、草履
 浪人踊は東郷町松崎三区に(注)継承されていたもので、400年の伝統と高い格調を持つ民俗芸能である(口絵写真を参照)。町内羽衣石城の城主南条氏は10代250年にわたり東伯耆の覇者として君臨した。しかし、戦国乱世の時代に入り、出雲の尼子氏あるいは安芸の毛利軍と度々戦いを交えた。中でも天正年間の毛利勢との戦いはすさまじく、両軍の死者は数知れず、流血で東郷湖が赤く染まったといわれ、羽衣石城は落城した。生き残った者は四散したが、後年、うら盆が近づくとどこからともなく浪人姿で集まり、亡き友をしのびながら踊ったのが始まりと伝えられている。
 そろいの装束は、南条氏の紋所とされる花久留須〈くるす〉を染め抜いた黒装束に、若竹色の角帯を結ぶ。編み笠を真深くかぶり、腰には赤さやの落とし差しで印籠を付け、足袋草履ばきで踊る。
 歌い手は、手に扇子を持ち口説き文句を歌う。歌詞は、以前は鈴木主水〈もんど〉や白井権八なども歌われていたようであるが、その歌詞を伝える人はなく、現在は奈須与一の歌が歌われている。
 この踊りは戦国武士の供養のための踊りであるが、その源流は念仏踊りに発するとみられる。すなわち、踊りの振り付けの中に霊魂を引き寄せ、招くようなしぐさ、音を立てない合掌やすり足のさばき、念仏踊り特有の抑揚のない低くスローテンポな調子などはその典型である。
  (注) 浪人踊は、戦中・戦後の一時期を除いて、松崎三区の路上で毎年盆に踊り継がれていた。踊りの基本形はあったが、手足の細かな動きは各自の個性にまかされていたという。昭和27、8年のころ松崎の西村よめ・深田ふゆ・伊藤わさの3人の踊り方を基本に、お茶の水女子大学教授(当時)戸倉ハルの助言を得て現在の踊り方が決められた。なお、歌い手2人は古くから方地の男性が努めていたという(以上、旭・尾川かつのの談による)。
   
<前頁
次頁>