をたがね彫りし、下面の四隅とその中間には瓔珞〈ようらく〉(仏像や建築に用いられる装身具や垂飾)を取り付けるための小さな鐶〈わ〉がある。
 筒身は円筒状で、全面に15行236字の願文が雄渾〈こん〉流麗にたがね彫りされている。彫りは明りょうで、一字を除き容易に読み取ることができる(第2編「奈良・平安時代」の章を参照)。銘文によって康和5年(1103)に作成されたものであることが分かる。また、台座は断面が三段の流れをもった下広がりの円台で、ふくらみをもった部分に蓮花文の毛彫りが施されている。
 全体的に見て清そな作りではあるが、気品のある逸品で東郷町が誇り得る宝物である。

(2)金銅観音菩薩立像
 総高22センチメートル鋳銅製に鍍金〈ときん〉(銅の表面に金のメッキを施したもの)した金銅製である。現在では鍍金がはげて所々残る程度であるが、吹き出た緑青とのコントラストが美しい。像身は(注)丸吹きで、蓮肉〈れんにく〉・返花〈かえりばな〉・二段框〈かまち〉から成る台座に両足をそろえて立つ。頭頂に三面頭飾に似た宝冠を付け、左右から冠の紐〈ひも〉が長く垂れ下がっている。
 胸部から背部にかけて瓔珞を装い、天衣〈てんえ〉(菩薩などがつけているうすものの丈の長い布)の一方は左肩から腹部に垂れ、さらに右手で受けて反花に垂らしている。他方は右肩から右膝〈ひざ〉にかかるのを、左手第1・第2指でつまみ上げ、端は同じく返花に垂れている。
 面部は腐食がひどく、右ひじを欠いた姿は痛ましいが姿態は優雅である。白鳳期(奈良時代前期)金銅仏の中でも屈指の傑作ともいわれる。ただし、光背には後年の補修の跡が見られる。
  (注) 像全体を一度に鋳造すること。

(3)銅造千手観音菩薩立像
 総高16.3センチメートルの鋳銅製丸吹きの小像である。脇手を失っているが、鋳造像でありながら、木彫像のように脇手を組み立て式に作っているのは特異である。緑青のさびに覆われ、台座の下半部が失われている。藤原時代(平安時代後期)の作である。

(4)銅板線刻弥勒立像
 高さ12.5センチメートル、幅5.0センチメートルの舟形光背状の鋳銅板に毛彫りで如来像が刻まれている。頂点付近の穴の背面には「弥勒如来」と刻まれている。藤原時代の作とみられる。

国宝・銅板線刻弥勒立像
(宮内・倭文神社所蔵)
国宝・銅造千手観音菩薩立像
(宮内・倭文神社所蔵)


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(3)銅造千手観音菩薩立像
 総高16.3センチメートルの鋳銅製丸吹きの小像である。脇手を失っているが、鋳造像でありながら、木彫像のように脇手を組み立て式に作っているのは特異である。緑青のさびに覆われ、台座の下半部が失われている。藤原時代(平安時代後期)の作である。

(4)銅板線刻弥勒立像
 高さ12.5センチメートル、幅5.0センチメートルの舟形光背状の鋳銅板に毛彫りで如来像が刻まれている。頂点付近の穴の背面には「弥勒如来」と刻まれている。藤原時代の作とみられる。

国宝・銅板線刻弥勒立像
(宮内・倭文神社所蔵)
国宝・銅造千手観音菩薩立像
(宮内・倭文神社所蔵)


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