第3編 信仰と文化財
第1章 宗教法人
第3節 寺院
 8  正法山長伝寺

о所在地  東郷町長和田742
о宗 旨  曹洞宗
о本 尊  釈迦牟尼仏
о住 職  高橋慧暁

 羽衣石2代城主・南条宮内少輔景宗が、応永15年(1408)3月、羽衣石谷に「正法山景宗寺」を建立した。慶長5年(1600)の関ヶ原の戦いで、羽衣石城が廃城になったとき、前述のとおり景宗寺も焼失した。その後、景宗寺の住職・仙長が、長和田に草庵(あん)を営み、長伝寺と改めて南条の菩提(ぼだい)を弔った。これによって、仙長を長伝寺の開基とする。
 2世に至って龍徳寺の法系(宗派の系統)につらなった。その後、元禄14年(1701)嶺堂が住職となって、仏殿・庫堂・法器などの設備を整え、ここに一方の禅林(禅宗の寺院)と称するに至った。さらに嶺堂は九品山大伝寺を再建し、長伝寺の法系とした。
 なお、嶺堂の父は左近と称し、徳川家康の子・秀康(越前)に仕え、主君の側女を賜った。同時に、秀康が家康から拝領した短刀も賜った。のち主君に諫(かん)言して遠ざけられたが、この間に生まれたのが嶺堂である。嶺堂は父の意に従い、越州の勝山義宣寺竹峰の門に入り、鶴(かく)峰といった。のち嶺堂と改めた。
 昭和38年10月6日、長伝寺は堂々たる庫院に改築され、面目を一新している。
 о町指定天然記念物「大シイ」