第3編 信仰と文化財
第1章 宗教法人
第3節 寺院
 6  宝樹山長栄寺

о所在地  東郷町別所148
о宗 旨  曹洞宗
о本 尊  釈迦牟尼仏
о住 職  石賀紘見

 元「安泰山」と号した。永福寺(長江)所蔵の古記録によると、宝永2年(1705)、龍徳寺12世・鷲仙任峰(じゅせんにんぽう)の開基で、龍徳寺5世「貞文存侃(そんかん)」を勧請して開山としている。明治40年、15世・山崎祖苗が、江湖会(ごうこえ)修行に際して、但馬の長松寺・秦慧昭(はだえしょう)(後の永平寺貫主)に接して教化を受け、その折、山号を「宝樹山」と改称した。山門の扁額(へんがく)「宝樹山」は、秦慧昭の筆である。
 文久4年(1864)3月13日、別所に大火事があり、諸堂は残らず焼失した。難を逃れたのは、大日堂(長栄寺とは別の位置にあって、大日如来を安置している)と本村田家だけだったという。この火災で、当寺の古記録は一切焼失した。
 昭和17年12月23日、戦争のため供出された梵鐘は、安政6年(1859)6月に鋳造されたものだった。現在の梵鐘は、戦後25年10月に造られたものである。今の本堂・開山堂は、明治10年11月に再建された。寺記によると、漆原の万福寺の本堂を購入、移築したものである。元の本堂は7間半(13.5メートル)に7間(12.6メートル)の大本堂であったと伝えられている。
 明治14年に本堂・開山堂・庫裏などを修繕し、同26年6月、本堂を瓦葺(かわらぶき)とした。また今の庫裏は大正初期の改築である。昭和30年以降、天井絵新設、須弥(しゅみ)壇改造、諸道具・柱巻などの荘(しょう)厳、位牌(いはい)堂建設、庭園の改装などを行い、面目を一新している。
 この寺院は東郷川の上流に位置し、夏は蛍の名所で、河鹿(かじか)の声も清らかに聞こえる山紫水明の地である。
 о町指定文化財「天井絵大雲竜」
 千熊(くま)章禄(ろく)画伯が、18世・魯(ろ)山文雄(ぶんゆう)和尚の住職「20年勤続記念事業」として寄進した力作である(「文化財」の編参照)。
 о千熊章禄画伯顕彰碑
 同寺の天井絵「大雲竜」を寄進した千熊画伯の17回忌を記念して、昭和56年、境内に建立された。
 о漢詩偈頌(げしょう)三百首記念塔
 前述の魯山文雄和尚が、自作の漢詩が300首に達したのを記念して、境内に建設した。
 背面に「偈日(げにいわく) 緑竹青松莫今(こんこなく)古身心脱落大平秋 喜寿記念昭和五十六年彼岸中日」とある。

(注) 偈頌とは、仏の功徳をほめたたえる歌のこと。

 о宝樹子安観世音菩薩
 昭和53年に安置された。この菩薩像は、松崎駅前ロータリーの「湯の華慈母観音」像と同じく、東郷町出身の彫刻家、故徳下泰明の制作で、1.5メートルの高さがある。流産、死産の子供の供養をはじめ、子供の安全成長の願いをかなえる仏像である。