第3編 信仰と文化財 第1章 宗教法人 第3節 寺院 5 昭暉(き)山龍徳寺
о所在地 東郷町中興寺217 永正年間(1504〜1520)、倉吉市和田の定光寺3世の高弟・端翁玄鋭を開山として以来、現在で33世となる。25世の泰雲は書画に優れていた。西向寺(松崎)、覚善寺(方地)、長伝寺(長和田)の天井絵は、いずれも泰雲の作といわれる。 戦時中の金属供出で姿を消した大梵鐘は、仙津山麓(ろく)の通称「幣振坂」で鋳造したもので、近郷の信者が、金や銀の髪飾り・装身具などを投じたと伝えられ、音響・余韻ともに優れていたといわれる。 о町指定文化財「薬師如来座像」(かつて漆原にあった万福寺の本尊) о私立「昭暉学館」・「専門僧堂」 同寺30世・蒔田賢牛が、昭和4年4月、私財を投じて同寺院内に「昭暉学館」と「専門僧堂」を創設した。このうち専門僧堂は、曹洞宗の僧侶の養成機関であった。同宗大本山総持寺の修行方式が採用され、朝5時の起床から、夜9時に終わる夜座(座禅の行)まで、びっしりと詰まった日課のなかで、厳しい修行が積まれたという。僧堂には、道友会という生徒の組織があって、毎年の正月に地元で布教大会を開催したり、当時の青年団や処女会などに招かれて説教、講話をしたりしている(東郷小学校郷土室編『東郷村郷土読本』)。昭和20年に閉館となったが、同堂の卒業生は、各地の寺の住職になったという。なお、昭暉学館については、第2編の「学校教育」の節を参照されたい。
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