第3編 信仰と文化財
第1章 宗教法人
第3節 寺院
 5  昭暉(き)山龍徳寺

о所在地  東郷町中興寺217
о宗 旨  曹洞宗
о本 尊  釈迦牟尼仏(しゃかむにぶつ)
о住 職  山本暢春

 宝暦年間に火災のため古記録を焼失し、また、天明6年(1786)3月9日にも火災に遭っており(資料編77号「松田休意日記」)、開創の事情は不明である。現在の境内は広大で、龍徳寺山を背景とする堂々とした大伽藍(がらん)を誇っており、背後の庭園の林泉の美も優れている。また檀家数も多い。
 永正年間(1504〜1520)、倉吉市和田の定光寺3世の高弟・端翁玄鋭を開山として以来、現在で33世となる。25世の泰雲は書画に優れていた。西向寺(松崎)、覚善寺(方地)、長伝寺(長和田)の天井絵は、いずれも泰雲の作といわれる。
 戦時中の金属供出で姿を消した大梵鐘は、仙津山麓(ろく)の通称「幣振坂」で鋳造したもので、近郷の信者が、金や銀の髪飾り・装身具などを投じたと伝えられ、音響・余韻ともに優れていたといわれる。
 о町指定文化財「薬師如来座像」(かつて漆原にあった万福寺の本尊)
 о私立「昭暉学館」・「専門僧堂」
 同寺30世・蒔田賢牛が、昭和4年4月、私財を投じて同寺院内に「昭暉学館」と「専門僧堂」を創設した。このうち専門僧堂は、曹洞宗の僧侶の養成機関であった。同宗大本山総持寺の修行方式が採用され、朝5時の起床から、夜9時に終わる夜座(座禅の行)まで、びっしりと詰まった日課のなかで、厳しい修行が積まれたという。僧堂には、道友会という生徒の組織があって、毎年の正月に地元で布教大会を開催したり、当時の青年団や処女会などに招かれて説教、講話をしたりしている(東郷小学校郷土室編『東郷村郷土読本』)。昭和20年に閉館となったが、同堂の卒業生は、各地の寺の住職になったという。なお、昭暉学館については、第2編の「学校教育」の節を参照されたい。