第3編 信仰と文化財
第1章 宗教法人
第3節 寺院
 3  清龍山法林寺

о所在地  東郷町松崎260
о宗 旨  真宗大谷派
о本 尊  阿弥陀如来
о住 職  上杉宣章

 草創以来天台宗として数百年続いたと伝えられるが、旧記が焼失したため、古いことはつまびらかではない。住職・多田乗西が文明2年(1470)、大阪で蓮如の教化を受けて、御染筆六字名号(みょうごう)「南無阿弥陀仏」を授かってから真宗に改宗し、本願寺を本山とするに至った。蓮如は本願寺第8世で、全国にわたり熱心に布教活動を続け、教勢を拡大し、真宗中興の祖とされ、その「御文(おふみ)」は全国各地で大切にされている。乗西は永正9年(1512)3月11日に70歳で没しているが、当山中興の開基として尊敬されている。当山はもと本願寺派(西本願寺派)に属していたが、のち大谷派(東本願寺派)に変わった。その事情を『鳥取県史近世・文化産業』は次のように記述している。

 真宗西本願寺派から東本願寺派への改派をした河村郡宇谷村乗蓮寺・宇野村安楽寺・松崎村法林寺の3か寺の例がある。3か寺とも元は下浅津村香宝寺(注・西本願寺派)の末寺であったが、同寺の取扱い方が不都合であることにより、乗蓮寺の主唱で宝暦11年(1761)に東派へ転じ、香宝寺との本末関係を絶ったといわれている。

 一説には、当山は元松崎仲町(現三区)の辺りにあって、光輪寺と称したといわれている。今の本堂は、明治43年の建築である。旧梵鐘(ぼんしょう)は天明2年(1782)7月5日の銘があったが、昭和17年に戦争のため供出された。現在の梵鐘は昭和26年に造られたものである。
 о寺宝「蓮如筆六字名号」
 六字名号「南無阿弥陀仏」の軸である(長さ135センチメートル、幅47センチメートル)。この軸は、松崎の壇家・足羽愛輔家に伝えられていたもので、当寺に寄進された。蓮如の研究家である大谷大学の藤島達郎の鑑定によって、蓮如の直筆であることが判明している。