第3編 信仰と文化財
第1章 宗教法人
第3節 寺院
 2  照量山本立(ほんりゅう)寺

о所在地  東郷町松崎255
о宗 旨  顕本(けんぽん)法華宗
о本 尊  宗祖奠定(そんじょう)(日蓮)の大曼荼羅(まんだら)
о住 職  早川義正

 本因坊の高弟・本妙院日饒(にちにょう)の開基で、かつては寺領30石を有したとも伝えられている。明治18年に編集された「伯耆国河村郡松崎宿誌」(県立鳥取図書館所蔵)によると、慶長18年(1613)の創建とする。囲碁の寺として栄え、その伝統を継承して「湖東棋院」と称する囲碁会場もでき、盛んな時代もあった。明治22年に京都の妙満寺を本山にしたが、それまでは、京都の寂光寺を本山としていた。寂光寺の2世・日海は本因坊を称し、織田信長・豊臣秀吉・徳川家康から囲碁の名人として注目された人といわれる。なお、当時の寂光寺の末寺は、全国に当山と加賀国金沢の本行寺の2か寺だけであったという。享保19年(1734)2月、宗祖日蓮(れん)の宝塔建立、施主・立木甚兵衛(三原屋)。
寛政4年(1792)、本堂、庫裡(くり)改築。 天保15年(1844)7月、開祖日什(にちじゅう)の宝塔建立、施主・市橋作兵衛。
嘉永7年(1854)、山門再建、施主・市橋作兵衛。
 о山茶花(さざんか)の大木
 当山には山茶花の大木がある。縁結びの御神木と称し、晩秋から正月ごろまでの開花は美しく、人々の目を楽しませている。
 о寺宝「日蓮の曼陀羅」
信徒・倉吉の宇崎はな女の寄進(25世・津村俊乗の代)で、日蓮の真筆といわれる。
 о寺宝「大涅槃(ねはん)図」
 裏に「宝永2年(注)5月15日、開眼供養之導師、洛陽寂光寺日證、伯州河村郡松崎照量山本立寺常住、代五世心静院日蓮」と記してある。

(注) 宝永2年は1705年。開眼(かいげん)=仏像・仏画ができたとき、霊を入れるために行う供養の式。洛陽(らくよう)=みやこ、ここでは京都。