第3編 信仰と文化財
第1章 宗教法人
第2節 神社・教団
 9  藤津神社

о鎮座地東郷町藤津593
о祭 神底津少童命・中津少童命・表津少童命
о宮 司米原尊昭

 創立年代は不詳である。明治元年(1868)までは龍王大明神と称した。当社の付近を字「龍王前」という。社伝によると、昔海神が海上を漫遊し、当地に到着されたとき、地元民は突然なことで餅(もち)をつくいとまがなく、だんごを供した。それ以来、藤津では正月には餅の代わりにだんごを食べる風習ができたという。この風習を伝える家は、近年まで多数あった。
 祭神名中の「少童」は、わだつみと読み、海を意味する。古代、藤津は海岸であったと伝えられ、今でも深く掘ると海砂が出る所もある。通称「大浜・小浜」、字「中浜」の地名もある。松食い虫の害を受けて昭和54年に伐採された「タコの松」のあった辺りは、日常「浜」と呼ばれている。
 社伝によると、元禄12年(1699)、本殿を改築し、また、文久2年(1862)には本殿を再建している。このときの大工は光吉村(今の羽合町)米原太左衛門、屋根師は因州紙屋村(今の青谷町)藤内源治郎とある。現在の鳥居は文政7年(1824)に再建されたものである。
 旧社殿は、現在の本殿裏の高台にあって、遠くから眺めることができたと伝えられる。明治26年10月14日、豪雨のため本殿正面の敷石付近が崩れ、拝殿を押し倒し、樹木も多数損害を受けたので、翌27年4月、社地を修復し、本殿を現在地に移したという。