第3編 信仰と文化財 第1章 宗教法人 第2節 神社・教団 5 松尾神社
前述の「伯耆国河村郡東郷荘絵図」によれば、東郷湖付近は京都・松尾大社の荘園であった。当社は、京都の松尾大社領荘園の守護神として、神霊を勧請(かんじょう)して創建されたものと推定される。 社伝によれば、元羽合の郷・光吉(みつよし)にあったが、洪水の際、社殿が北風に吹き流され、野花の浜藪(やぶ)に漂着したので、その地に祀り、のち今の地に遷(うつ)したという。光吉には今でも松尾屋敷と称する所がある。また、羽合の郷には、当社の祭日に松尾大明神と記した幟(のぼり)を立て祭る習慣が存続していた。羽合郷が当社の氏子でなくなった年代は不明である。 南条時代は、同家の祈願所になった。永禄5年(1562)11月9日、南条元清から社領75石の寄進を受けている。大正11年3月、向山(むこうやま)神社(野花)、長和田神社(長和田)、佐美神社(佐美)、大宮神社(埴見)、高宮神社(埴見と羽衣石の境)、高山神社(羽衣石)の6神社を合併した。 当社は古来から酒造りの神として広く崇敬され、例年12月13日、御神徳の酒造霊験をたたえ、酒造祭が執行される。旧社格は村社である。欅(けやき)材を使った荘厳(注)な春日造(かすがづくり)の本殿は、宝永3年(1706)に建立された。枡(ます)組は他の社殿と形式を異にしている。拝殿、幣殿は昭和5年に改築された。随神門は宝暦3年(1753)の建立で、昭和30年原形を残して改築された。 (注) 春日造は、妻入りで、正面と背面が破風造となっている。棟に千木(ちぎ)・堅魚木(かつおぎ)があり、正面に社殿と同じ幅の向拝(ごはい)が付けられた形式。春日大社(奈良市)が、この様式の代表であるので、この名がある。
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