第3編 信仰と文化財 第1章 宗教法人 第2節 神社・教団 3 国主神社
当社は大国主命が地方経営御開拓の際、霊跡を残された所と伝えられる筒地(現・泊村)に創建された。大国主命を主祭神とするところから国主大明神と称し、昔は出雲大社の千家国造家から参詣(けい)もあったといわれる。大永年間、尼子氏の侵攻で、兵火にかかり、記録・神宝などを焼失した。のち藩主池田家から再興を命ぜられ、神領1石2升を寄進された。年間4回の祈願を行い、神札を池田家に届けていた。 今の社地に移転したのは、寛永16年(1639)である。小字を宮ノ越(みやのこし)という。移転後も北福、漆原、方地のほかに、泊村の筒地、小浜、石脇、泊、園、原から氏神としての信仰が続いていた(資料編70号参照)。 明治に入り、国主神社と改称し、村社になった。大正2年から3年にかけて、新宮神社(漆原)、小林神社(方地)、野方神社(野方)、白石神社(白石)の4社を合併した。 大正4年に、泊神社(泊)、石脇神社(石脇)、小浜神社(小浜)、筒地神社(筒地)、園神社(園)、水谷神社(原)の6社が合併して、泊村大字泊字「後島」に灘(なだ)郷神社が創建され、筒地など泊村の前述の6集落は、国主神社との関係を絶った。 以来、北福・漆原・方地・白石・野方の氏神として現在に至っている。また、漆原の西原定雄の屋敷が以前のお旅所であったという。近年、漆原では、合併してなくなった新宮神社の跡地に国主神社の遙(よう)拝所を設けている。
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