第3編 信仰と文化財
第1章 宗教法人
第2節 神社・教団
 1  倭文神社(伯耆一ノ宮)

社家「米原家」
 米原家は古来から、一ノ宮の社家として、神主(宮司)あるいは禰宜(ねぎ)を奉職して現在に及んでいる。米原家は元、宮内の神主屋敷(国造屋敷ともいう)に住居し、一時的には安部(あべ)あるいは平(たいら)と称したこともあった。その後江戸時代の初期、米原勝重の代に藤津に移住し、池田と改称した。その子正次の代に幼児1人を残して家族全員が死去した。出雲国の宇賀神社の神主夫妻が、諸国の著名神社巡拝のため当地に来て、留まってこの幼児を養育したといわれる。のち藩主と同姓であるのをはばかって前田と改めたが、江戸時代末期に元の米原姓に復した。