第3編 信仰と文化財
第1章 宗教法人
第2節 神社・教団
 1  倭文神社(伯耆一ノ宮)

キジの伝承
 神社が行う祭りには、大祭・中祭・小祭の区別があって、神饌(せん)(神に対する供え物)の種類も、それによって厳重に区分されている。大祭の神饌の中に野鳥があるが、一ノ宮ではキジは絶対に供えてはならないことになっている。理由は明記されていない。社家である米原家(藤津)でも、キジを食べることは禁じられてきた。
 これらの禁忌は、おそらく天照大神(あまてらすおおみかみ)と出雲(いずも)の大国主命との国譲りの交渉の神話に関係するものと思われる。『古事記』の大要を記す。

天稚彦命は天照大神の命を受け、国譲りの交渉をするため、出雲においでになったが、大国主命の娘・下照姫命と結婚して帰らなかった。そこで天照大神は偵察のためキジを派遣された。キジは天稚彦命の家の前にある木の上で、大神の言葉を伝えたところ、天稚彦命に仕える女が、その声を聞き「この鳥の鳴き声は、大変不吉ですから射殺してしまいなさい」と申したので、命は弓を持ち出し、キジを射殺しておしまいになった。その矢が天照大神の所まで飛んで来たので、その矢を御覧になって「この矢は天稚彦命に与えたものである」と申され、投げ返されたところ、天稚彦命の胸に当たって、死んでおしまいになった。

 この神話の後日譚(たん)が、当地に次のように伝えられている。

その後、大国主命は天照大神に国土を献上された。天稚彦命の妻であった娘の下照姫命は、隠岐島に謹慎させたと報告されたが、実際は隠岐島には行かず、海路当地に御着船された。そして一ノ宮の地で余生を送られた。

 下照姫命、天稚彦命は、いずれも一ノ宮の祭神である。前述の国譲りの神話には、古代、出雲地方の勢力範囲内にあった伯耆などの国々が、次第に大和朝廷の支配下となっていく歴史的な背景があったと考えられる。キジを「食べない、供えない」しきたりは、出雲と縁の深かった一ノ宮の、大和朝廷に対する忠誠心を表現する方法として生み出されたものかもしれない。
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