第3編 信仰と文化財
第1章 宗教法人
第1節 神社行政

神社の合併
 国家管理となった神社に対して、政府は合併の指導を強く進めた。明治45年ごろに出された神社合併についての会見郡長の訓示(『鳥取県史近代第5巻資料篇』所収)によると、当時、「本郡下神社ノ状態ヲ見ルニ、其ノ多クハ境内狭隘、社殿矮小ニシテ体裁備ハラズ、又常置ノ神職ヲ欠キ、為ニ正式ノ祭典ヲ執行スルコト能ハザルモノ尠(すくな)カラズ」あった。このため、「国民崇敬ノ念日ヲ追フテ滅却スベク、今ニシテ之ガ善後ノ策ヲ講ズルナクンバ、遂ニ収拾スベカラザルニ至リ、延イテ我国体ノ維持上影響ヲ及ボスコト尠カラザルベシ」とし、神社の経費節減、設備の充実、崇敬者の増大などを図るためには合併が必要であると説いている。合併が必要な神社は、「無格社及村社中由諸ノ正確ナラザルモノ」 、「同一ノ祭神ヲ祀レル神社、同一市町村内ニ二社以上存在スル者」、「氏子百戸若ハ崇敬者五百人ニ満タザル者」、「交通便利ニシテ数社ヲ合併シ差支ナキ者」、また、合併してはならない神社は、式内社(第2編第1章「奈良・平安時代」の節参照)など歴史的に由緒のある古社、名勝・旧跡に関係ある神社、などとされた。

  表2 町内神社の変遷

幕   末   の   神   社

明治時代(合併

現   在   の   神   社

所在地

神 社 名

祭   神

前)の神 社 名

所在地

神 社 名

祭   神

宮 内

一ノ宮大明神

したてるひめのみこと

倭文神社

宮 内

 

たけはづちのみこと

下照姫命

 

建葉槌命(主神)

ことしろぬしのみこと

 

したてるひめのみこと

事代主命

 

下照姫命

たけみなかたのみこと

 

ことしろぬしのみこと

建御名方命

     

事代主命

すくなひこなのみこと

しとり      

たけみなかたのみこと

少彦名命

倭文神社

建御名方命

あめわかひこのみこと

 

すくなひこなのみこと

天稚彦命

 

少彦名命

あじすきたかひこねのみこと

 

あめわかひこのみこと

味耜高彦根命

 

天椎彦命

 

 

あじすきたかひこねのみこと

 

 

味耜高彦根命

宮 内

音若大明神

そこつわだつみのみこと

早稲田神社

宮 内

早稲田神社

そこつわだつみのみこと

底津少童命

底津綿津見神

なかつわだつみのみこと

なかつわだつみのみこと

中津少童命

中津綿津見神

うわつわだつみのみこと

うわつわだつみのみこと

表津少童命

上津綿津見神

そこつつおのみこと

そこつつおのみこと

底筒男命

底筒男命

なかつつおのみこと

なかつつおのみこと

中筒男命

中筒男命

うわつつおのみこと

うわつつおのみこと

表筒男命

表筒男命

藤 津

龍王大明神

そこつわだつみのみこと

藤津神社

藤 津

藤津神社

そこつわだつみのみこと

底津少童命

底津少童命

なかつわだつみのみこと

なかつわだつみのみこと

中津少童命

中津少童命

うわつわだつみのみこと

うわつわだつみのみこと

表津少童命

表津少童命

福 永

星宮大明神

しなつひこのみこと

福永神社

福 永

福永神社

しなつひこのみこと

級長津彦命

級長津彦命

しなつひめのみこと

しなつひめのみこと

級長津姫命

級長津姫命

北 方

国主大明神

おおなむじのみこと

国主神社

北 福

国主神社

おおくにぬしのみこと

大己貴命

大国主命

すくなひこなのみこと

すくなひこなのみこと

少彦名命

少彦名命

ことしろぬしのみこと

ことしろぬしのみこと

事代主命

事代主命

漆 原

新宮大明神

いざなみのみこと

新宮神社

いざなみのみこと

伊弉冊尊

伊邪那美命

方 地

伊 勢 宮

あまてらすおおみかみ

小林神社

すめ

天照大神

天照皇大神

白 石

松尾大明神

すさのおのみこと

白石神社

すさのおのみこと

素盞鳴尊

須佐之男命

野 方

三宝荒神

すさのおのみこと

野方神社

 

素盞鳴尊

新 宮 神

松 崎

松崎大明神

あめのほひのみこと

松崎神社

松 崎

松崎神社

あめのほひのみこと

天穂日命

天穂日命

あまつひこねのみこと

あまつひこねのみこと

天津彦根命

天津彦根命

いくつひこねのみこと

いくつひこねのみこと

活津彦根命

活津彦根命

くまのくすびのみこと

くまのくすびのみこと

熊野櫲樟日命

熊野櫲樟日命

長 江

音若大明神

かんなおびのかみ

長江神社

長 江

長江神社

かんなおびのかみ

神直日神

神直日神

やそまがつひのかみ

やそまがつひのかみ

八十枉津日神

八十枉津日神

おおなおびのかみ

おおなおびのかみ

大直日神

大直日神

そこつわだつみのみこと

そこつわだつみのみこと

底津少童命

底津少童命

なかつわだつみのみこと

なかつわだつみのみこと

中津少童命

中津少童命

うわつわだつみのみこと

うわつわだつみのみこと

表津少童命

表津少童命

そこつつおのみこと

そこつつおのみこと

底筒男命

底筒男命

なかつつおのみこと

なかつつおのみこと

中筒男命

中筒男命

うわつつおのみこと

うわつつおのみこと

表筒男命

表筒男命

門 田

天 満 宮

すがわらみちざねのみこと

北野神社

門 田

北野神社

すがわらみちざねのみこと

菅原道真命

菅原道真命

野 花

松尾大明神

おおやまくいのみこと

松尾神社

野 花

松尾神社

わけいかずちのみこと

大山昨神

別 雷 命

このはなさくやひめのみこと

おおやまくいのみこと

木花開耶姫命

大山昨命

わけいかずちのみこと

このはなさくやひめのみこと

別 雷 命

木花開耶姫命

 

すさのおのみこと

野 花

三宝荒神

すさのおのみこと

向山神社

素盞鳴尊

素盞鳴尊

たきりひめのみこと

佐 美

三宝荒神

すさのおのみこと

佐美神社

多紀理毘売命

素盞鳴尊

いざなぎのみこと

長和田

田中大明神

たごりひめのみこと

長和田神社

伊邪那岐神

田心姫命

いざなみのみこと

羽衣石

白山権現

いざなぎのみこと

高山神社

伊邪那美神

伊弉諾尊

おおなむじのみこと

いざなみのみこと

大己貴命

伊弉冊尊

すくなひこなのみこと

 

少彦名命

埴 見

高宮大明神

ことしろぬしのみこと

高宮神社

ことしろぬしのみこと

羽衣石

事代主命

事代主命

埴 見

大宮大明神

おおなむじのみこと

大宮神社

おもいがねのかみ

大己貴命

思 兼 神

埴 見

籠守大明神

そこつつおのみこと

籠守神社

埴 見

 

そこつつおのみこと

底筒男命

 

底筒男命

なかつつおのみこと

こもり

なかつつおのみこと

中筒男命

籠守神社

中筒男命

うわつつおのみこと

 

うわつつおのみこと

表筒男命

 

表筒男命

引 地

巌嶋大明神

いちきしまひめのみこと

引地神社

小鹿谷

東郷神社

くにのとこたちのみこと

市杵嶋姫命

国常立命

小鹿谷

八 幡 宮

ほんだわけのみこと

秀尾神社

いざなぎのみこと

誉田別命

伊邪那岐命

たらしなかつひこのみこと

すさのおのみこと

足仲彦命

素盞鳴命

おきながたらしひめのみこと

はやたまおのみこと

気長足姫命

速玉男命

小鹿谷

森山午頭天王

すさのおのみこと

森山神社

ことさかのおのみこと

素盞鳴命

事解男命

小鹿谷

松上大明神

くにのとこたちのみこと

松上神社

そこつつおのみこと

国常立尊

底筒男命

田 畑

妙見大明神

すさのおのみこと

和田神社

なかつつおのみこと

素盞鳴尊

中筒男命

方 面

松尾大明神

おおやまくいのみこと

松尾神社

うわつつおのみこと

大山昨命

上筒男命

山 辺

七谷大明神

いざなぎのみこと

山辺神社

いちきしまひめのみこと

伊弉諾尊

市杵島比売命

別 所

籠守大明神

そこつつおのみこと

別所神社

おおなむじのみこと

底筒男命

大穴牟遅命

なかつつおのみこと

おおやまくいのみこと

中筒男命

大山昨神

うわつつおのみこと

さるだひこのみこと

表筒男命

猿田彦命

中興寺

三宝荒神

すさのおのみこと

谷口神社

小鹿谷

東郷神社

ほんだわけのみこと

素盞鳴尊

誉田別命

久 見

梵 天 社

  さるだひこの

久見神社

おきながたらしひめのみこと

猿田彦大神

気長足姫命

高 辻

松尾大明神

おおやまくいのみこと

高辻神社

たらしなかつひこのみこと

大山昨命

足仲彦命

おおなむじのみこと

おおやまつみのみこと

大己貴命

大山祗命

河 上

新宮大明神

はやたまおのみこと

新宮神社

 

速玉男命

 

いざなぎのみこと

 

伊弉諾尊

 

ことさかのおのみこと

 

事解男命

 

麻 畑

 

すさのおのみこと

麻畑神社

 

 

須佐之男命

 

 

おおやまつみのみこと

 

 

大山祗命

 

 このような郡長の指導は、東伯郡でも同様であったと思われる。町内の神社合併を表2に示した。合併に際しては、村同士が近接して氏子の同意が得られたところは問題はなかったが、なかには話し合いがつかず、氏子住民が抵抗を続け、合併しなかった神社もあった。
 太平洋戦争後の昭和21年、神社の国家管理が解かれた。各神社が宗教法人となって以来、合併した神社を元に返したところも少なくないが、これは合併に無理があったことを示すものであろう。
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