第2編 歴史 第4章 近代・現代 第10節 社会教育 2 社会教育団体 (2) 婦人会 戦時体制と婦人会の活動 昭和6年には満州事変、同12年には日華事変が勃(ぼっ)発し、戦争への道をたどることになる。それにつれて婦人会(注)の活動分野もにわかに拡大し、その運動資金獲得に奔走したようである。 前掲『45年の歩み』によると、花見村婦人会では九品山例祭での売店の開設、小学校児童服の共同購入などによる資金作りや、生活の簡素化に力を入れている。このほか、銃後の守りを固めるため、戦場の兵士に送る慰問箱の作製と発送、傷病兵の見舞い、遺家族の慰問、戦没将兵の村葬への会葬、長伝寺での託児所の世話など、昼夜の区別のないほどの奮闘ぶりであった。 さらに、戦局が激化し、本土決戦、一億玉砕が叫ばれるころには、緊迫した決戦態勢のもとで、食糧増産、チ号演習、竹槍訓練、防空演習などに明け暮れた。 (注) 地域婦人会のほかに、愛国婦人会(明治34年創立)、国防婦人会(創立年不明)があったことが知られる。国防婦人会松崎村分会は昭和8年11月の結成である(「立木柳蔵日記」)。末端の市町村では、1人で3婦人会の会員を兼ねていた。昭和17年2月、大日本連合婦人会(文部省所管)、愛国婦人会(内務省所管)、大日本国防婦人会(陸・海軍省所管)の3団体が統合され、大日本婦人会が結成された(『鳥取県教育史』)。
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