第2編 歴史 第4章 近代・現代 第10節 社会教育 2 社会教育団体 (2) 婦人会 山の管理と婚礼の式服 花見婦人会では、活動費の財源をねん出するため山を管理し、また、生活改善の一環として婚礼の式服を購入したことが知られる(前掲『45年の歩み』)。 昭和18年、戦雲いよいよ急を告げ、成年男子はことごとく戦場に送られて人手不足の折、羽衣石・長和田・門田の所有であった羽衣石字「勝負谷」の原野1.7ヘクタール余が花見村婦人会に委譲された。一帯は背丈ほどの松がここかしこに生えている程度で、山というよりは草刈り場であった。早速、400人近い婦人会員総出で、山の手入れが始められた。草を刈り、木を樵(こ)るなど大変な作業であったが、自分たちの山ができたという喜びもまた大きかったという。それからは、2、3年ごとに手入れを行っていった。立木が売却されたのは、昭和37年ごろのことである。その収益は婦人会の資金として各部落の婦人会に分配された。 婚礼の式服は昭和10年、長和田・長伝寺住職の尽力により、一着一揃(そろい)が新調された。この式服の貸し出しは戦争の激化とともに解消されたが、生活の簡素化に大きな役割を果たしたという。 |