第2編  歴史
第4章  近代・現代
第10節 社会教育
 2   社会教育団体
(1)  青年団と処女会

花見村青年会

 花見村青年会の設立について、「花見小沿革史」(大正2年の項)に次のような記述がある。
本年度事業
 時勢ノ進運ニツレ共同団結ノ急ヲ訴フルノ時ニ当リ、茲(ここ)ニ本村ニ統一シタル青年会ヲ設クルノ急務ナルヲ以テ、本年度ノ事業トシテ花見村青年会ノ設立ヲ期センガ為メ、十月十九日鳥取県教育会主催教育幻灯会並ニ活動写真会ヲ開催シ、併セテ青年会ノ必要ニシテ急務ナルヲ訴フ
 幻灯・映画会の開催は10月19日と20日の2日間にわたった。19日は、花見小学校を会場にして佐美、埴見、長和田、野花、羽衣石の各部落を対象に、翌20日は長江の永福寺で長江、門田の2部落を対象に開かれた。説明者は、森田清市校長と中原幾代首席訓導であった。
 学校沿革史に青年会の設立が学校の主事業として挙げられていることで、当時青年会の統一結成が重要、緊急な課題であったことを知ることができよう。このような学校側の働き掛けもあり、翌3年度(詳しい年月は不明)に花見村青年会の設立総会を花見小学校で開催する運びとなった(「花見小沿革史」)。会の目的、組織、事業などは、恐らく前記の舎人・東郷・松崎の各村と同様であったと思われ、活発に活動したものと推察される。
 さらに昭和11年刊行の『鳥取県郷土調査第23巻』(鳥取県小学校研究会編)によると、当時の花見村青年団(大正6年7月19日現組織のものを設立するとある)は、年齢範囲を16歳から25歳までとし、団員数85人、予算80円であった。主な事業は、7月=海水浴、8月=登山・遠足・盆踊り、9月=競技会・篤農家懇談会、12月=品評会・講習会、1月=弁論会、2月=演芸会、などである。
 なお、花見村青年団は大正15年から団体教練を実施していたことも知られる(前節「青年訓練所」の項を参照)。