第2編 歴史 第4章 近代・現代 第10節 社会教育 2 社会教育団体 (1) 青年団と処女会 舎人青年会 舎人青年会は、明治43年5月16日に創立された。同日、48人の会員が出席して発会式が開かれている。以下は、「舎人村誌巻上」(野方・中村春義所蔵)の記録による。 通常会員は、13歳以上30歳未満の男子であった。ただし、31歳以上であっても、通常会員であった者、及び本会を賛助する者を特別会員とし、学識経験者と本会に特別功労のあった者を名誉会員としている。総会員数は92人、うち通常会員82人、特別会員7人、名誉会員3人であった。各部落には支部を置き、支部長1人、幹事1〜2人で運営していた。 当初は、会長に小学校長を選び、その他の役員には主として小学校の教員を充てた。役場職員がその補助員となった。しかし、翌44年からは「其筋ノ注意ノ次第モアリ」、主導権が村役場に移された。村長を会長、助役を副会長、収入役及び小学校教員の中から1名を理事にし、小学校長は講師として協力させるよう改めている。定期的な会合は、1月、4月、7月、10月の年4回であった。 青年会の目的は「教育勅語及戊申詔書(注)ノ御趣旨ヲ遵奉シテ智徳ノ修養及身体ノ鍛錬ニ努メ善良ナル国民タランコトヲ期スルヲ以テ目的トス」とある。これを達成するため、次の事業を行うとしている。 @倶楽部(くらぶ)ノ設置A通俗図書館ノ設置B講習会及講話会ノ開設C攻学会及補習会ノ開設D風紀ノ改良E共同作業F基本金ノ造出G総会及支部会H武術ノ鍛錬I視察旅行 具体的には、次のような行事を行ったことが知られる。 @明治43年7月16・17、8月1・2日の4日間、農家休日を利用して、半日ずづ、舎人小学校の運動場造成工事を行った。その請負金9円は基本金として郵便貯金にした。 A同年7月、会長以下の役員が夜間各支部に出向き、幻灯会と地域改善の講演会を開催した。 B同年8月19日、第2回の総会を開催した。会員96人のほか、会員外の80人も参加している。午前中に総会、午後に余興、相撲をした。これに要した費用20円余は、村内有志の寄付金を充てた。 C同年9月、在郷軍人会と合同で、戦没者招魂祭を舎人小学校で執行した。 D同44年3月1日に第3回、8月24日に第4回の総会を開催し、善行者の表彰と講演会を行った。表彰は品行方正、家業勉励によるもので、第3回総会では宮内支部の深田平一が2等賞、同じく宮内の福本元義、福本春蔵、井上重吉の3人が3等賞を受けている。第4回総会の受賞者は、白石支部の石田久四郎、石田清七の2人であった。この表彰には、副賞として2等賞に新聞(因伯時報)2か月分、3等賞に1か月分が与えられた。 講演会の講師は、主に村長や小学校長が務めている。このほか、福引きをしたり、講釈師を招いて講談を聴いたりした。また、理科実験として、電話機の構造と使用法の説明を受けたりもした。 (注) 明治41年戊申の年の10月13日、明治天皇が出した詔書。日露戦争後、国民が戦勝に酔い、人心が次第に浮華に流れるのを戒め、国民的道義の大本を示したもの(『広辞苑』)。 |