第2編  歴史
第4章  近代・現代
第10節 社会教育
 2   社会教育団体
(1)  青年団と処女会

概説

 地域社会においての若者の集団は、明治以前から村の総事(ごと)(全戸の参加する行事)や祭りなどの場合に、重要な役割を担っていたと考えられる。いわゆる若連中・若衆組などと呼ばれていた組織である。明治初期には、若連中が数をたのんで不穏当な行動に出ることがあったので、県では「向後若連中の称呼一切禁止申付」けたこともあった(『鳥取県史近代第5巻資料篇』)。その後、明治・大正・昭和と時代が下るにつれて、青年団体の組織の強化が図られ、風紀改善、勤倹貯蓄、補習教育、慈善救済などの事業のほかに、軍事訓練、敬神崇拝という国策に沿った活動も組み込まれていった(昭和32年刊『鳥取県教育史』)。
 町内の青年会設立は、東郷村・明治42年、舎人村・同43年、松崎村・同45年、花見村・大正3年(度)であった。また、青年団と改称したのは、花見村の場合、大正6年であったことが知られる。
 以下、町内の記録を基に、太平洋戦争終結までの各村青年会(団)の活動状況を中心に概観したい。
   
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