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第2編 歴史 第4章 近代・現代 第10節 社会教育 1 社会教育の活動 舎人攻学会と報徳夜学会 ここでは、舎人攻学会と報徳夜学会に触れておく。 舎人攻学会は、明治38年12月27日に開設された。舎人村内の4か所に設けられ、生徒数は110人であった。「舎人小沿革史」には、「報徳教の主義に基づき」開設した、とある。いつごろまで続けられたかは記録されていない。 報徳夜学会は、名称は異なるが攻学会に類するものと推定される。明治38年11月26日から東郷小学校で始まった。前掲「東郷小沿革史」によると、明治42年まで毎年開設されている。期間は11月ないし12月から、翌年2〜3月までの季節的な開設であった。「報徳」と冠してあることから、同36年に創立された東郷報徳社の事業であったとも考えられる。夜学会の修身の授業に「二宮翁夜話」(注)などが口授されている。 報徳夜学会の学則のうち、主なものを掲げておく。 教室は東郷小学校の校舎が使われた。教科目は、修身・国語・算術・農業であった。また、乙部に編入できない者があったため、丙部も置き、仮字(かじ)(片仮名・平仮名)の教授をしたという。明治38年の第1回の入学者は、甲部43人、乙部49人、丙部33人であった 前述のとおり、報徳夜学会の開設は明治42年で終わっている。この年に創立された東郷青年会(後述)が夜学会を受け継いだとみられる。「東郷小沿革史」には、大正3年12月及び5年12月東郷青年夜学会の開催、6年7月青年会主催の補修教育第1回開催、7年2月女子補習教育開始などの記事が見られる。 なお、前節「裁縫科と子守教授」の項で紹介した文書(資料編111号)から、松崎校区では明治30年12月、青年の「奢侈放蕩(しゃしほうとう)・風俗壊乱」の悪習をきょう正するため、夜学会開設の動きがあったことが知られる。また、「舎人小沿革史」には、翌31年12月25日の夕方、同校で夜学会を組織したとある。いずれも詳細は不明であるが、当時から地元有志などによる教育普及のための取り組みがあったことが分かる。花見校区には、同種の記録は見えない。 (注) ニ宮尊徳の言行を門人が記した書。尊徳の自然・人生・歴史観並びに報徳思想の実体を平易に伝えている。 |
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