第二編 歴史
第四章 近代・現代
第九節 学校教育
 二  各学校の沿革
(四) 花見小学校

花見小学校
 ○明治二十五年九月七日、長和田尋常小学校を花見尋常小学校と改称し、改正小学校令によって開校式を行った。また、校舎のうち、平屋建て一棟を売却し、新たに二階建て一棟(九・五×三・五間)を建築した。費用は約二九四円であった。同年十月に完成している。
 ○同二十九年、夏休み中に長和田で赤痢が発生し、自然休校となった。このため、十月一日から十一月中旬まで、「埴見村庵」と長江・永福寺を仮の教場に充てて、授業を行った。
 ○同三十年、裁縫科を加設した。
 ○同三十九年十月、現・農協花見支所の向かい側(通称「学校屋敷」)に校舎を移転して完成式を行った。この校舎は、同二十五年建築の二階建て一棟であったと思われる。この移転工事の期間中、花見村役場などが仮校舎に充てられた。
 ○同四十二年十一月、三教室などを備えた瓦葺平屋建ての新校舎一棟(一五・五×四・五間)が完成した。
 経費は約二六〇五円であった。また、校舎の東北に、約一一〇平方メートルの学校園を設けている。
 ○大正十三年四月一日、高等科を設置して、花見尋常高等小学校となった。また、同月十日、現在地(門田字「植木」四番地の二)に新校舎を建築して移転した。教室棟は、木骨鉄網コンクリート造りのスレート葺二階建てで、二九×五・三間の広さであった。この西側に下足場や便所、中央の南面には玄関が付けられた。また、教室棟の西南寄り木造スレート葺平屋建ての講堂が建てられた。八×一四間の広さであった(町役場所蔵「財産台帳」)。この年、校庭の一角(現・忠魂碑が建つ辺り)に奉安殿が造営された。
 ○同十五年七月、花見青年訓練所を併設した。
 ○昭和五年九月、校歌(旧)を制定した。作詞・河島雅弟、作曲・杉江秀であった。
  校 歌
 一 其の名と共に目出でたる 羽衣石の山を仰ぎつつ 動かぬ操 高き徳 養いたてん 月に日に
 二 限りは遠く水清き 東郷池を望みつつ 濁らぬ心 広き知恵 磨きてつまん たゆみなく
 三 平和の名のり 花見村 学びの庭の楽しさよ 我等も御代の花と咲き 実りて国に 報いなん
 ○同六年七月、花見農業補習学校と花見青年訓練所を統合して、花見農業公民学校と改称し、本校に併置された。
 ○同八年十二月、校舎の改築に着工し、翌年四月に終了した。
 ○同十年七月、花見農業公民学校を花見村青年学校と改称し、本校に併置された。
 ○同十四年十月、校章を制定し、校旗を作った。
 ○同十六年四月、花見国民学校と改称した。
 ○同十八年九月十日、鳥取大地震で校舎に被害を受けた。
 ○同二十一年七月、奉安殿を撤去した。
 ○同二十二年四月一日、花見小学校と改称した。
 ○同二十四年二月、学校給食を始めた。
 ○同二十六年、校舎の北西寄りにPTAの寄付金で平和条約記念図書館を新設した。

 〔歴代の校長〕(1)明里治郎(明治二五年九月〜) (2)岸田政蔵(同二七年八月〜) (3)赤松太郎(同二八年八月〜) (4)山根亀太郎(同三一年五月〜) (5)神波乙吉(同三五年二月〜) (6)森田清市(同四五年四月〜) (7)手島宗市(大正三年六月〜) (8)中西秀雄(同六年三月〜) (9)前田猶市(同八年三月〜) (10)中西秀雄(昭和五年三月〜) (11)福井久義(同七年三月〜) (12)中島光次郎(同一〇年三月〜) (13)村本利忠(同一四年〜) (14)藤井清(同一七年〜) (15)牧田好章(同二一年〜)


花見尋常小学校の印影
(明治36年の修業証書から複写した)
花見小学校の旧校舎
場所は、現在の農協花見支所の前、県道東側の一帯である。正面の校舎(二階建て)が明治25年、右側が同42年の建築と思われる。
(花見小学校提供)

花見小学校の新校舎
大正13年の建築。手前の門柱に「克孝」「克忠」の文字が見える。
(花見小学校提供)
大正13年の花見小学校舎新築完成式
(長和田・佐々木守成提供)

花見国民学校の印影
(昭和17年の修了書から複写した)
花見尋常高等小学校の印影
(昭和21年の同校の褒状から複写した)

花見小学校の旧校歌
(採譜は同校の福井里子)

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