第二編 歴史 第四章 近代・現代 第九節 学校教育 二 各学校の沿革 (三) 東郷小学校 小鹿谷小学校 ○明治九年四月、高辻小学校を小鹿谷に移転し、小鹿谷小学校と改称した。場所は、現・市橋暹所有の樹園地がある辺り(字「御屋敷」一〇三―一番地)である。校舎は平屋建てで、敷地は約八一平方メートルであった。 ○同十一年四月、田畑二に田畑分校を開設した。詳しい場所は明らかでない。 ○同年八月、川上に川上分(支)校を開設した。場所は、現在の子供会館が建つ辺りである。当時の校舎建築寄付金感謝状が残っている。 ○同十五年九月、校区の改正で、河村郡第八番学区・松崎小学校の小鹿谷・田畑・川上分校とされた。高辻学校当時の前記八か村に松崎宿、中興寺・久見村を加えた計一宿一〇か村が、松崎小学校を本校とする学区とされたのである。 ○同十六年六月、学区番号は第八番に据え置かれたまま、小鹿谷分校が本校に復した。田畑分校は小鹿谷小学校に付属することになったが、川上分校は依然として松崎小学校に付属した。 ○同十七年、高辻・方面村が松崎小学校川上分校の校区とされた。また、田畑分校が廃止され、小鹿谷・別所・国信・引地・田畑村を校区とする河村郡第九番学区小鹿谷小学校となった。 ○同二十年三月、小鹿谷尋常小学校と改称した。学区番号は、河村郡第五区とされた。「東郷小沿革史」の同月の項に「第五尋常小学校」とある。その後、河村郡第八区と変更されている。 ○同二十二年四月、小鹿谷簡易小学校を併置した。 〔校長〕@山田文太(明治二〇年四月〜二一年一二月)A村尾則利(同二二年四月〜) |
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