第二編 歴史
第四章 近代・現代
第九節 学校教育
 二  各学校の沿革
(二) 松崎小学校

松崎学校
 ○明治六年三月二十九日、第一六番中学区第三四番小学松崎学校の開校が許された。校舎は、寄付された松崎宿・西向寺の庫裏が充てられた。仮修繕をして、男女別々の二教室を作ったという。当時の校区は、松崎宿と中興寺・久見村であったと思われる。「松崎小沿革史」は、このほかに宮内・藤津村を加え、さらに、引地・小鹿谷・中尾(現・国信の一部)村からも随意に通学したと記録している。しかし、これらの地域は後に松崎校を本校とする学区、あるいは校区とされた時期があるための混同であろう。開校当時の校区ではなかったと推定される。
 「松崎小沿革史」は、前述したように明治二十九年度から書き起こされている。同二十六年の大水害で書類が散失したためである。したがって同二十八年以前については詳細な記録はないが、史料としては同九年から十二年までの「第十九番中学区河村郡(松崎宿)第八十七番小学」と記した同校の卒業証書(前掲「小学校の課程」の項を参照)が伝えられる。
 また別の卒業証書によると、明治十四年十月には、「松崎小学校」と改称していたことが知られる。
 以下、明治二十八年以前は舎人小や東郷小の沿革史をもとに記述する。


松崎小学校の印影
(明治11年の資料から複写した。同校の一番古い校印と思われる)
松崎小学校の印影
(明治12年の卒業証書から複写した)

松崎尋常小学校の印影
(明治29年の資料から複写した)
明治14年の卒業証書
校印は、同校最古の「松崎学校」の印が使われている(鳥取市・伊藤泰雄所蔵)

図39 松崎小学校(松崎三区)の校地・校舎見取図
(注)桜小学校所蔵の「校舎図」によった。

   
元・松崎小学校に
あった門柱
松崎国民学校の校旗
校章の由来は明らかでない。
(桜小学校所蔵)
和田氏の家紋
和田氏から賜ったというかみしも(鳥取市・伊藤泰雄所蔵)によった。

昭和17・18年ごろの松崎国民学校
松崎小学校の印影
(昭和28年の卒業証書から複写した)

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