第二編 歴史 第四章 近代・現代 第九節 学校教育 二 各学校の沿革 (一) 舎人小学校 漆原小学校 ○「舎人小沿革史」には、明治八年二月二十二日、長田宣衛が第一六番中学区第五七番小学漆原学校の仮訓導に任命され、同月二十八日、漆原村八一七番地に第一九番中学区第七五番小学漆原小学校が創設された、とある。校舎は、元・万福寺の建物(平屋)であった。現在の漆原公民館が建つ辺りである。四月五日に開筵式が行われている。しかし、漆原学校の創立時期は明確でない。同年一月に、原村(現・泊村)に漆原学校の支校が開設されたとの記録があることから、同月までには既に創立されていたと考えられる。前述した藤津小学校との関係から、同校の校区は、方地・漆原・北方・福永・原であつたと思われる。なお、原村は同十二年、村制変更のため、泊小学校の校区とされた。 ○同十五年十二月現在の児童数は、中等科二人、初等科五八人であった。 ○同二十年四月、新たに野方・白石を校区に加え、漆原尋常小学校と改称した。学区番号は、河村郡第二区とされた。 ○同二十二年七月、漆原簡易小学校と改称した。同校の場合は、尋常科を廃止して、簡易科だけの学校になったと思われる。同年十二月末日現在の簡易科生徒(男子のみ)は、一年二八人、二年一五人、三年五人の計四八人であった。 〔校長〕@池田円掟(仮学長・明治九年五月〜) A保田堅治(同二十一年六月〜) |
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