第二編 歴史
第四章 近代・現代
第九節 学校教育
 二  各学校の沿革
(一) 舎人小学校

藤津学校
 ○明治七年三月十日、藤津村七八番地の一ノ宮宮司・米原武穂が、第一六番中学区第六七番小学藤津学校の仮学長兼仮訓導に任命された(「舎人村誌巻上」など)。校舎は、米原の自宅であった。創立当時の校区は舎人村全域であったと思われる。
 ○同年四月四日、第一九番中学区第八五番小学藤津小学校と改称した。
 ○同年十一月十日、藤津村七五番地の民家に移転した。「舎人小沿革史」には、「セド条井ノ東、路ノ上段」と記されている。現在の遠藤清一宅の付近であるという。その後、同村三六九番地の遠藤文平所有の家屋(五×二間)に移った。詳しい場所は明らかにできない。
 ○同十一年五月、藤津村三七〇番地に、六・五×二・五間の校舎を新築した。工事費一一〇円余りは公費が充てられた。当時の棟札には、「第四大学区第十九番中学区第八十五番藤津小学校 明治十一年五月」と書かれていたという。
 ○同十三年十月まで、宮内・藤津・野方・白石を校区にしていたという。同月、校区の改正が行われたと記録されているが、どのような内容であったのか不明である。前記の校区は、後述する漆原小学校が創立されて以降に定めたものと考えられる。
 ○同十四年度に、学校の統合が行われ、漆原小学校の藤津分校となった。
 ○同十五年十二月現在の児童数は、中等科二人、初等科三五人であった。
 ○同二十年三月、藤津分校が廃止され、四月から野方・白石は漆原尋常小学校、藤津・宮内は松崎尋常小学校の校区となった。
 〔校長〕@米原武穂(仮学長・明治七年三月〜)
   
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