第二編 歴史
第四章 近代・現代
第九節 学校教育
 一  教育制度の変遷と町内の概観
(五) 昭和後期

新学制実施準備協議会
 新制中学校を設置する責任主体は、各市町村であった。しかし、義務制となった中学校の設置は、戦後の学制改革の中核的意義を持っていたから、校区や校地・校舎・教職員のことなど、全県的な視野で決定することが必要であった。
 文部省の勧奨もあつて、昭和二十二年三月十日、新学制実施準備鳥取県協議会が開催された。この県協議会では、先に挙げた校区や教職員のことなど、新制中学校の設置に関するすべての案件が話し合われた。この結果、@学区は県の試案を理想として、最終的に県協議会で決定する、A職員配置は、四月中旬以降、学区が決定した学校から校長・教頭などを順次任命する、B校名の変更(決定)は四月一日とし、開校は四月中旬以降に一斉に行う、などとされた。
 このうち、校区に関する県の試案は、組合立を原則とした一二学級一〇〇人を単位基準とし、県内で八七校を設置するとい構想であった。当地では、東郷・松崎・舎人・花見の四か村を校区とし、生徒数六一四人・学級数一三の案が打ち出されていた。
 県協議会では、このほか、新学校制度趣旨徹底要項を定め、県民への啓蒙〈けいもう〉に努める一方、町村には三月十八日までに新学制実施町村協議会を設置するよう求めた。すなわち、校区や校名の問題などを町村協議会に諮問するかたちをとったのである。四月中旬の新制中学校開校を目指して、その一連の取り組みは、実に慌ただしかった(『鳥取県教育史/戦後/編/』)。
   
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