第二編 歴史 第四章 近代・現代 第九節 学校教育 一 教育制度の変遷と町内の概観 (五) 昭和後期 戦時色の払拭 敗戦国・日本の占領管理は、連合国軍総司令部(GHQ)が執行した。特に教育面においては戦時教育の根底にあった軍国主義・国家主義的な思想・訓練を徹底的に除去することに主眼が置かれた。そのため修身の授業の停止など、GHQは次々と指令を出している(資料編一三〇号)。 こうした指令が徹底しているかどうかについて、いわゆる進駐軍が町内の各学校を巡察し、監督している。東郷中学校の『創立二十年史』によると、当時、列を作っての歩行、全生徒を集めた朝礼での訓話なども、進駐軍から軍国主義の教育だと指摘されたという。 終戦直後の教科書は、進駐軍の指令によって、戦意高揚に関する文章や言葉などが墨で消された。児童たちは、そうした教科書や、新聞紙用の粗末な紙に印刷したテキストなどを使って、しばらくの間授業を受けたのである。また、学校の門柱が折られたり、柱に刻まれた「義勇奉公」、「克忠」、「克孝」などの文字がコンクリートで埋められたりした。このほか、奉安殿の撤去や教育勅語(謄本)の返還などが各学校で行われ、戦時色が次第に払拭〈しょく〉されていった。 なお、「花見小沿革史」には昭和二十一年七月、奉安殿撤去完了の記録が見える。その奉安殿は現在、長和田公民館の東側に置かれている。同年六月には、GHQから「奉安殿は今後倉庫であることを明らかに」するよう指示されていた(資料編一三〇号C)が、長和田地区に移転して建物の活用を図ったのであろう。 |
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