第二編 歴史 第四章 近代・現代 第九節 学校教育 一 教育制度の変遷と町内の概観 (四) 昭和前期 学校看護婦と学校給食 児童の健康に対する取り組みは、大正時代から引き続いて行われた。学校医のほか、昭和二年の県の訓令で学校歯科医と学校着護婦を設けることになった(『鳥取県教育史』)。学校歯科医では、東郷・松崎両校に矢口幸一が任命されている。学校看護婦は昭和十六年四月、花見校に置かれた。また、同校では、同十八年から児童にツベルクリン反応注射が実施されている。東郷校では、昭和七年から児童の体位向上のため、授業時間の合間に、二〇分間の体育時間を特設している。 町内での学校給食は、昭和九年度から舎人校で始まっている。児童の体格が全体的に悪かったが、特に劣っている児童のために、給食を始めたという。『鳥取県教育史』には、給食を必要とする児童は、校長が学校医の意見を聞いて決めたとある。同十年当時、給食を実施した学校は県内で四〇パーセントほどであった。粗食や偏食で、栄養不良児が多かったことと思われる。しかし、戦争の進展とともに、学校給食は次第に中止されていった。 |
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