第二編 歴史 第四章 近代・現代 第九節 学校教育 一 教育制度の変遷と町内の概観 (四) 昭和前期 決戦下の教育体制 昭和十六年十二月八日、日本は太平洋戦争に突入し、破竹の勢いで進攻を続けたが、同十八年五月、アッツ島守備隊の全滅以来、戦局は大きく転換した。こうした非常時に、教育でも決戦体制がとられた。すなわち、大学や高等師範学校などの修業年限短縮の措置(昭和十六年)、国民学校初等科と青年学校を除く諸学校での学校報国隊の結成(同年)、軍需品運送の協力を求めたりした学徒動員(同十八年)、さらに大学・高等専門学校のうち理工系などを除く在学者を、すべて軍隊に徴集する学徒出陣(同年)など、不利な戦局を打開するため、次々と施策が強化されていった。 戦争が熾〈し〉烈を極め、本土決戦が叫ばれ始めた昭和二十年三月には、「決戦教育措置要綱」が閣議決定され、国民学校初等科を除いて、学校の授業は、同年四月から一年間、原則として停止されることになった。こうして、学校教育はほとんど空白のまま、それから半年もたたずに終戦を迎えるのである。 なお、終戦前後の東郷実科専修学校の状況については、「各学校の沿革」の項で述べることにする。 |
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