第二編 歴史
第四章 近代・現代
第九節 学校教育
 一  教育制度の変遷と町内の概観
(四) 昭和前期

勤労奉仕と動員
 戦火の拡大で、国民挙げての戦時協力体制が取られると、小学校の児童も勤労奉仕の作業に当たった。「花見小沿革史」によると、昭和十三年、尋常科五年生以上が「団体勤労」を実施している。第一学期は校地の地ならしと通路の修繕、二学期は軍人遺族家庭の収穫の手伝い、三学期は除雪作業を行った、とある。
 このほか、東郷・花見小学校の『百年史』などによると、校庭を開墾してサツマイモを栽培し、食糧増産運動に協力したり、木炭焼き作業、松の根(ガソリンを作る原料)の掘り起こし、水田の耕作、防空ごうの設置作業を手伝ったりしている。特に、国民学校高等科の児童には、昭和十九年に通年動員令書が交付され(「花見小沿革史」)、戦局が悪化するのに伴って動員が度重なり、教室での授業は次第に行われなくなった。
 なお、現在の学校の児童会に相当する自治会が、舎人校で昭和四年に設置されている。また、同校では同十二年に民警少年団、花見校では同十六年に青少年団が結成されている。このうち、青少年団は団体的実践修練を受けながら学校や地域での結束を強め、非常時に対応しようとしたものであった。
   
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