第二編 歴史
第四章 近代・現代
第九節 学校教育
 一  教育制度の変遷と町内の概観
(四) 昭和前期

東郷実科専修学校
 青年学校令は、昭和十四年四月に改正された。その要点は、満一四歳から一九歳までの男子で、一定の学校に在学する者以外は、すべて青年学校に就学する義務を設けたこと、また、市町村に青年学校の設置義務を負わせたこと、などであった。特に、青年学校の校舎は、従来小学校の設備を共用していることが多かったため、就学義務による生徒の増加と専任教師の増員、教練科の時間の増強などで、独立校舎の必要が高まった。
 そこで、町域内では東郷松崎組合村・舎人村・花見村のほかに泊村を加えた五か村学校組合立の東郷実科専修学校が、昭和十七年三月三十一日に設立された(同校「沿革又ハ重要事項録」)。開校式は、同年四月十一日に行われ、当初は、東郷国民学校の校舎を使用した。同校の物置を職員室や兵器室に充てたり、下足場を改装して教室に使ったりしている。その後、久見字「向畑」(現在の東郷中学校のある場所)に新校舎を建設し、昭和十九年一月に移転した。なお、「東郷小沿革史」や「東郷青年学校沿革史」には、東郷実科専修学校の創設を昭和十五年と記録している。東郷青年学校だけが、この年に東郷実科専修学校と改称し、二年後に他地区の青年学校と統合されたのかもしれない。組合立の東郷実科専修学校の初代校長には、小椋留一が就任した。専任教師のほか、東郷・松崎・舎人・花見・泊の各国民学校長も兼任教師として教えている。
 同校の「沿革又ハ重要事項録」には、昭和十七年四月末日現在の在籍者数が第一部二七一人(うち男一六五人)、第二部(充実課程)三二人(同一二人)と記録されている。第一部とは本科(男子五年、女子三年)と研究科(一年)、すなわち、青年学校に準じたもので、週に数日間の授業が行われた。研究科はほとんど夜学であった。また、第二部は、希望者が授業料を払って、少し程度の高い教科を学ぶ全日制の部(二年制)であった。なお、翌十八年三月の第一回卒業式の項で、前記の科のほかに専修科修了生の記録(男子四人)も見られる。初年度だけ専修科が置かれていたと思われるが、授業内容は不明である。


 
東郷実科専修学校第一部の
第一回卒業生
昭和18年3月。後方は東郷国民学校の校舎である。(倉吉市・小椋留一提供)
中山町下市での軍事訓練に参加
年は不明。東郷実科専修学校の小椋留一校長
(前から二列目、左から四人目)が同校生徒を引率した(倉吉市・小椋留一提供)


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