第二編 歴史
第四章 近代・現代
第九節 学校教育
 一  教育制度の変遷と町内の概観
(四) 昭和前期

東郷愛球クラブの活躍
 昭和二年九月、東郷尋常高等小学校に赴任し、体育主任となった坂口友吉(藤津)は、生徒たちに卓球を教えた。当時学校にはまだ卓球台がなかったため、会議用の大きな机を利用して練習したという。その後、苗代田の病害虫駆除で得た報償金で卓球台を購入することができ、休憩時間には順番待ちの生徒の列ができるほど、校内に卓球熱が高まった。翌三年には、同校に東郷愛球クラブが結成された。坂口の指導で練習に励んだ結果、郡や県の大会で優勝するなど、生徒の実力は次第に上達していった。
 東郷愛球クラブの名が一躍高まったのは、同七年に米子で開催された中国卓球大会である。この大会に、坂口は高等科二年であった三ツ田宣保(田畑)、大下元春(松崎)、橋本春美(別所)、山崎林(方面)、更田正義(久見)の五人を率いて一般の部団体戦(一チーム五人)に出場し、決勝戦で米鉄チームを破り優勝を果たした。「小学生チーム中国を制す」と報道され、関係者を驚かせたといわれる。
 東郷愛球クラブでは、その後も数多くの名選手が育った。戦後の昭和二十一年、第一回国民体育大会に県代表として出場した三ツ田敏夫(田畑)も、その一人である。卓球の盛んな土地柄として、東郷の名は県下に知れ渡った(以上、坂口友吉の談による)。
   
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