第二編 歴史
第四章 近代・現代
第九節 学校教育
 一  教育制度の変遷と町内の概観
(四) 昭和前期

概観
 昭和時代の教育は、昭和二十年までの軍国主義一色に彩られた時期(前期)と、戦後の新しい民主教育の展開期(後期)という二つの時期に区別して述べることにする。
 昭和六年の満州事変始まった戦争は、次第に太平洋戦争へと拡大する。こうした時代を背景に、町内の各小学校でも、教育勅語などを収める奉安殿の建設、国民学校への改称、勤労奉仕への動員、体操の検閲など、軍事色が強まった。昭和三年の舎人校の修学旅行に鳥取四〇連隊の見学が組み込まれたり、同十二・十三年に花見校が伊勢神宮に旅行したりしているのも、忠君愛国思想の高揚が目的であったと思われる。
 昭和二十年八月、ポツダム宣言の受諾によって戦争が終結すると、占領軍の指導で新しい日本の教育の進むべき方向がされた。その内容は、軍国主義的な思想の払拭〈しょく〉であり、教育の民主化であった。町内の各学校でも、奉安殿が撤去され、国民学校が小学校の旧名に復した。また、義務教育の延長で、新たに東郷中学校が設置された。教育委員会制度も発足するなど、民主主義教育の歩みが始まるのである。


東郷小学校の教育勅語容器
(別所・西田陽二提供)


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