第二編 歴史
第四章 近代・現代
第九節 学校教育
 一  教育制度の変遷と町内の概観
(三) 大正時代

青年訓練所
 青年訓練所は、大正十五年四月に公布された青年訓練所令によって設立された。町内では、同年六月二十九日に舎人、七月一日に松崎・東郷・花見の各農業補習学校にそれぞれ併設された。
 青年訓練所の目的は、小学校を卒業して中等以上の学校に進学しない青少年(一六歳から二〇歳までの男子)の心身を鍛錬し、日本国民としての資質を向上させることにあった。実業補習学校が実業教育を主としていたのに対して、青年訓練所は軍事訓練を主眼にしていたのである(『鳥取県教育史』)。修学年限は四年で、訓練項目は修身科のほか、公民科・軍事教練・普通学科・職業科があった。しかし、訓練時間の二分の一は軍事教練に充てられた。在郷軍人がその指導に当たり、明らかに教育軍国化の一端を担うものであった。青年訓練所の修了証を所持する者は、現役歩兵として入営する際、在営期間を六か月短縮するなどの特典が与えられていた。
 町内の青年訓練所については、東郷青年訓練所を例にして後述する。
 なお、先に実業補習学校の就学を督励するため、各村の青年団組織が利用されたと述べたが、青年訓練所の場合も同様であった。このことは「花見村青年学校沿革史」によって知ることができる。すなわち、大正十五年一月二十日、花見村の青年団総会で、団員の団体教練を会の事業とすることを決定している。同月二十五日には役員会で訓練細目を決定、同月二十九日には第一回の団体教練を実施した。青年訓練所令が制定される以前から、青年団のこうした活動があったのである。その背景には、県の強い指導があったものと思われる。
   
<前頁
次頁>