第二編 歴史 第四章 近代・現代 第九節 学校教育 一 教育制度の変遷と町内の概観 (三) 大正時代 学校の行事 町内の各校沿革史では、運動会の記述は、東郷校の明治三十八年九月が初見である。四十数種目の遊戯を行い、「来観者多数ナリキ」と記録されている。これより先、同校では、同三十四年十一月、校舎新築の記念と併せて、生徒の成績品展覧会を開催し、住民にも公開している。同年七月、松崎校でも校舎の増改築を記念して、児童の手芸(作品)展覧会を開催している。 そのほかの学校は、花見校の大正六年(展覧会と運動会)、舎人校の同二年(展覧会)、同七年(運動会)が初見である。これらの行事は、大正年間に定着したとみられる。 修学旅行では、舎人校が大正七年四月、尋常科の五年生以上を引率し、鳥取市に旅行したのが初見である。なお、前年の六年三月、花見校が「卒業運動」として浜村温泉に旅行した記録が見えるが、詳細は不明である。舎人校の場合は、その後、高等科あるいは尋常科の最上級生が毎年のように、名和神社、米子市、松江市などへ修学旅行に出掛けている。 なお、舎人校では大正十三年、全校児童が泊の海岸で「郊外運動」を行っている。今でいう遠足の始まりである。同校では、それ以後、白石の城山、北福の今滝などに出掛けている。また、学芸会の文字は、大正八年の舎人校の記録に初めて見られる。その日、父兄会を開催しているから、出席した父母に唱歌などを披露したのであろう。 |
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