第二編 歴史 第四章 近代・現代 第九節 学校教育 一 教育制度の変遷と町内の概観 (二) 明治時代 教育思想家・藤原喜代蔵 明治十六年北福の生まれで、我が国における教育ジャーナリストの元祖とされる藤原喜代蔵(昭和三十四年没)に触れておきたい。以下の記述は、『近代百年鳥取県百傑伝』のほか、篠村昭二(気高町)の著述資料によった。 藤原の初めての著作『明治教育思想史』は、明治四十二年に発表された。教育制度は、政治や経済など社会情勢と深くかかわって動くものであると論じた内容で、それまでの教育史論にない独創性が注目を浴びたといわれる。読売新聞の教育担当記者として文部省に詰めながら、教育界の表裏に通じた教育ジャーナリストとなり、独特の著作を完成したのである。当時、彼は二六歳であった。『教育思想史』と題した出版物は、我が国で最初のものであったといわれる。 この著作の完成直後に、彼は二年間イギリスに留学した。帰朝後、文部省の要請で帝国教育会に入り、雑誌『帝国教育』の編集を八年間担当した。この時期に、著述家として『近代教育学大集成』『都市及田園の教育』『人物評論学界の賢人愚人』など多数の著作を発表している。また、昭和十九年には最後の著作『明治大正昭和教育思想学説人物史』全四巻、三三五七ぺ−ジにわたる大著を刊行した。 藤原は、ほとんど独学であったという。舎人尋常小学校も二年二か月在籍しただけで、家事手伝いを理由に中途退学している。日露戦争に出征した彼は、戦場でも英語の書籍を携え、寸暇を盗んで勉強したという。一時期、政治家を志したといわれるが、教育を受ける機会に恵まれなかったこと、歯に衣〈きぬ〉を着せぬ生来の激しい気性が、教育評論家としての道を歩ませたものであろう。その独特の教育論は、現代の史家の間で評価がとみに高まっているといわれる。 |
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