第二編 歴史 第四章 近代・現代 第九節 学校教育 一 教育制度の変遷と町内の概観 (二) 明治時代 簡易科 前記の小学校令に付随して、尋常科・高等科のほか、簡易科が設けられた学校もある。簡易科は、修業年限三年以内で、一日二時間以上三時間以内の授業を行い、学科は読書、作文、習字、算術であった。いわゆる半日学校であったが、このような変則的な小学校を設けることで、新しい教育に慣れさせ、次第に正規の小学校に就学させようというねらいであったとされる。ただし、尋常小学校から簡易小学校と名称を変えたもの、あるいは尋常小学校に簡易科を付設しただけのものなど、その形態はまちまちであった。町域内では一時、小鹿谷・川上・東郷・松崎・漆原・舎人・長和田の各学校に設けられた。また、「東郷小沿革史」によると、簡易科の経費はすべて町村費で賄われたという。授業料は徴収しなかったとみられる。 なお、町域内の簡易小学校、あるいは簡易科がいつごろまで存続していたのか、定かでない。ただ一つ、「花見小沿革史」が明治二十四年三月、同校の簡易科を廃止したと記録している。後述する明治二十三年十月公布の改正小学校令が、簡易小学校の便宜措置を認めなくなった(『大山町誌』)とされるが、県内の各市町村史(誌)を見ると、明治二十六年ごろまで、簡易小学校が設けられていた地域もあったようである。しかし、町内の場合、遅くとも次に述べる各校の開校式が挙行されるまでには、「簡易」の名称はすべて廃止されていたと推定される。 |
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