第二編 歴史 第四章 近代・現代 第九節 学校教育 一 教育制度の変遷と町内の概観 (二) 明治時代 明治十六年の学校状況 次に「鳥取県教育史・資料編(事蹟)」(県立鳥取図書館所蔵)から、明治十六年の町内各校の在籍生徒数などを表73に示した。松崎小学校の日々出席平均率が他校に比べて低くなっているが、理由は不明である。また、この表のうち、全学期(修業)年数がいずれも八年となっていることから、これらの本校では初・中・高等科をすべて設けていたとみられる。しかし、各校沿革史や町内の卒業証書などには、この時期の高等科の記録は見られない。高等科の在籍者や卒業生がないまま、明治二十年からの尋常小学校(後述)時代を迎えたためであろうか。 なお、「舎人小沿革史」には、明治十七年の漆原小学校の就学率が記録されている。当時の学齢児童二七一人(男一五八人、女一一三人)に対し、就学者(在籍者)は男一〇〇人、女四人の計一〇四人であった。就学率は三八・四パーセントで、四〇パーセントにも満たない。特に、女子の就学率は四パーセントにも満たず、少なさが目立つ。明治十六年度の河村郡における平均就学率は四〇・〇パーセントであった(『鳥取県教育史』)。 |
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