第二編 歴史
第四章 近代・現代
第九節 学校教育
 一  教育制度の変遷と町内の概観
(二) 明治時代

雑務係・世話係
 各学校に雑務係・世話係が置かれたことが知られる。雑務係は明治十二年六月、小鹿谷小学校で市橋弥三郎、長和田小学校で佐々木忠治郎、同年七月、漆原小学校で川本太平が任命されている。その数か月後の同年九月、前記の三人はいずれも各校の世話係に任命替えになっている。佐々木の任命書によると、雑務係は長和田村ほか五か村役場、世話係は郡役所が発令している。
 前記三人のうち、川本太平は三年前の明治九年十月、漆原小学校の学校保護人に任命されている。退任年月日は不明であるが、同一人物が同じ学校の保護人と雑務係を兼任したとは考えられない。しかも「舎人小沿革史」には、保護人と雑務係の給与年額がいずれも六円と記されている。このことから両者の職務内容は同一であったと思われ、保護人制度が雑務係→世話係と名称を変えたものと考えられる。松崎・長江両小学校には雑務係・世話係の記録は残っていない。藤津小学校の場合は、「舎人村誌巻上」が、明治十二年・同校世話係として新谷善治郎の名を記録している。
 なお、小学校の保護人や雑務係、世話係が担当した教育行政の任務は、間もなく学務委員(後述)が受け継ぐことになる。これは、明治十二年九月制定の教育令に基づくものである。


第90番長和田小学・雑務係の任命書
(長和田・佐々木守成所蔵)
長和田小学・世話係の任命書
(長和田・佐々木守成所蔵)


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